恐らく最後の新加入選手。齋藤学選手について特集します!
齋藤学選手のプロフィール
齋藤学選手は、1990年生まれの30歳。シーズン始めには31歳になる。神奈川県川崎市出身で、ジュニアユースより横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2008年には2種登録もされた。2009年にそのまま昇格。ただ頭角をあらわしたのは2011年の愛媛FCにレンタル移籍していた時代。36試合に出場して14ゴールという堂々たる成績で、「愛媛のメッシ=エヒメッシ」などという名前もついた。
横浜F・マリノス復帰後は背番号11を与えられ、エースとして君臨。サイドハーフながらもゴールを挙げることもでき、名古屋グランパスも相当痛い目にあった。
転機は2017年。その年は背番号を10に変更、キャプテンを任されるが大怪我を負い、愛媛FCから復帰後はじめて1ゴールという惨憺たる成績に終わる。そこで心機一転、川崎フロンターレに移籍した。しかし2019年夏に再び大怪我。
2020年は復帰するも三笘薫や旗手怜央の台頭に出場機会を激減させる。今回、名古屋グランパスへの移籍は、出場機会を求めてのものと考えられる。
齋藤学選手の素顔
究極の負けず嫌い
齋藤学選手は、2018年の川崎フロンターレへの移籍で批判を受けることが多い。
実は2017年、齋藤学は海外移籍を視野に入れるも契約がまとまらず、自費でキャンプに参加するなどの中途半端な状態で、禁断の移籍への予兆はあった。最終的に再び海外移籍を見据えての単年契約で妥結した。
ただ翌年も既に28歳となる齋藤学に海外からのオファーはなく、そんななかで舞い込んだ川崎フロンターレのオファーに乗った。
なぜ海外移籍を望んでいたか、ということを考えれば、川崎フロンターレのオファーを受諾した理由も想像できる。
海外移籍は、より厳しい環境のなかで成長するために行う。海外移籍が叶わなかったから、その時最強と言われたチャンピオンチーム(2017年優勝)を選んだのではないだろうか。
挫折と変化
ただ、まったくやり方・文化の異なる川崎フロンターレへの移籍は本当に苦労の連続だったようだ。
2018年も結局ゴールは1ゴール止まり。先発はわずか2試合、出場時間は405分に終わった。
2019年も調子を上げてきたところで大怪我。
2019年8月24日、プレー中に右ひざを負傷して前半途中で交代を余儀なくされた。内側側副じん帯損傷、全治6~8週との診断だった。2カ月後に復帰することになるが、本調子からはほど遠かった。
「足が痛くてボールを思うように蹴れない、ジャンプできない、ダッシュできない。最悪というか、何もできないんですよ。だけど試合には出たいじゃないですか。練習に頑張って入ってみる。だけどメンバーに簡単に入れるもんじゃないから、ドンドン悪循環に陥っているなって分かるんです。足が良くなるために、いいと思ったものは大体試してみましたよ。それでもまったく良くならないし、その気配もない。これ以上サッカーを続けるのは無理だなって思いました」
引用元:フロンターレ齋藤学が語る「絶望の時期」 ケガでちらついた引退、回復後もベンチ外続きでJ2移籍希望(二宮寿朗)
引退を覚悟するような状況。
想像するだに胸が苦しくなるような状況だ。引用した記事にもあったように、富澤清太郎のアドバイスによって蘇る。
ただ、出場機会は得られないまま。
寺田周平コーチらとの対話のなかで迷いに迷っていた。J2移籍も検討していたという。
その中での出会い。
≪死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ≫
岡本の言葉1つひとつが、心に刺さった。嘘のない日々を送っていれば、未練がまとわりつくこともない。
「俺、ちょっと前まで目標を立てていました。日本代表に戻るとか、今シーズン10点取るとか。でも捨てました。目標のために生きているのかと言ったら、違うなって思えたんです」
引用元:「すべてはチームのために」川崎・齋藤学はなぜ岡本太郎の言葉で踏みとどまることができたのか(二宮寿朗)
上昇志向で、目標に向かって突き進む。そんなかつての齋藤学の姿は、一昨年、新人にも関わらず禁断の鹿島アントラーズ移籍をした相馬勇紀の姿ともだぶる。
ただ、挫折を知った齋藤学は、少し変わったのかもしれない。同じ代理人のロベルト佃に世話になっている相馬勇紀にとって、齋藤学はよき先生になるかもしれない。
齋藤学選手のプレーの特徴
齋藤学 スーパーゴール&ドリブル集+おまけつき MANABU SAITO―Fantastic Goals&Dribbles
百聞は一見にしかずと言うが、ビデオで見返してみるのが一番だろう。
メッシと謳われるだけのことがあるドリブル、それが彼の持ち味だ。全盛期2016年のドリブルの値は脅威の0.93。これは2020年の三笘薫が記録した0.95に匹敵する数値である。(データ出典:football-lab)※これを見ると三笘薫がどれだけバケモノなのかよくわかる。
シュートも三笘薫の異常なデータを棚上げして考えればマテウス並の値なのだ。やはり2016年の全盛期の齋藤学選手のデータは凄い。日本代表に選出されるのが頷けるデータだ。
グランパスファミリーの人間ならば比較のしやすい、そしてポジション的に左右のサイドハーフのみを担当するとなると相馬勇紀とマテウスになる。2016年の全盛期の齋藤学選手と2020年の齋藤学選手の4人を比較すると以下のようなレーダーチャートになる。
3人の傾向はよく似ている。レーダーチャートの形は大小の差はあれ、ほとんどかたちが同じ事がわかる。攻撃も、パスもクロスもドリブルも相馬勇紀・前田直輝・マテウスは齋藤学選手よりもずっと低い値だ。唯一シュートだけはマテウスが2016年の全盛期の齋藤学選手と並ぶこと、守備では相馬勇紀が上回る、ということくらいだ。
そして、大怪我を経たあとの2020年のデータは注目に値する。何度となく膝を怪我してきた選手はどうしてもシュート力が落ちるのは致し方ない。シュート、ゴールの値はどうしてもかなり落ちている。
一方で、攻撃・パス・クロスなどの総合的な攻撃の組立て能力についてはむしろ上がっているのだ。
これは以前のようなドリブルとシュートに頼ったプレースタイルから脱却しようとしている、ということでもある。
2020年の名古屋グランパスではマテウスと前田直輝以外、単騎でドリブルをしかけてシュートを打つ、なんていうことはほとんどない。高いレベルで攻撃の組み立てができる齋藤学は、単なるドリブラーの補強ではなく、攻撃で手詰まりになったときの打ち手として、大きなチカラになってくれるはずだ。期待しよう。
データ引用元
- https://www.football-lab.jp/comparison/player/2020/86/400765/2016/124/400765/
- https://www.football-lab.jp/comparison/player/2020/86/400765/2020/127/1604777/
- https://www.football-lab.jp/comparison/player/2020/86/400765/2020/127/1401498/
- https://www.football-lab.jp/comparison/player/2016/124/400765/2020/86/1611126/