はじめに
「ミシャ式」。 Jリーグを愛する皆さんなら、一度は耳にしたことがある言葉ではないでしょうか。
2026シーズンより名古屋グランパスの指揮を執るミハイロ・ペトロヴィッチ氏(以下、ミシャ)が用いる戦術こそが、この通称「ミシャ式」です。
ミシャが日本で初めて指揮を執ったのは、2006年のサンフレッチェ広島。その後、浦和レッズ、北海道コンサドーレ札幌を率い、積み上げたJ1通算勝利数は247勝(歴代3位)を誇ります。
本稿では、そんな名将の代名詞である「ミシャ式」のメカニズムと見どころを徹底解説。さらに、長谷川健太前監督がグランパスに残した財産が新体制でどう活きるのか、その「つながり」についても考えます。
ミシャ式とは
ミシャ式を一言で表すなら、「試合の中で数的優位(相手より多い人数)を作り、有利に試合を進めるための仕組み」です。
3人で2人を攻略したり、4人で3人を見張ったりすることで、ピッチ上の各局面で主導権を握ります。
- 攻撃の組み立て時(ビルドアップ):ボール周辺に数的優位を作る
- 最終局面:相手ゴール周辺で「+1人」の数的優位を作る
- 守備局面:相手を囲んで数的優位を作る
この数的優位を実現するために採用されるのが「可変システム」です。
可変システムとは、状況に応じて選手が立ち位置を変え、配置バランスを調整する仕組みのこと。例えば、3バックの横にボランチが降りてきて4バック化する動きなどが代表的です。
ミシャ式では、ベースとなる「3-4-2-1」に縛られることなく、攻撃・守備のシーンごとに選手が流動的に立ち位置を変えます。ここからは具体的な狙いと動きを解説します。
攻撃時の狙い
攻撃は大きく分けて 「1. ビルドアップ」→「2. 前進」→「3. 相手ゴール前の最終局面」 の3段階で進みます。
1. 後方でのビルドアップ
自陣ゴール前からの組み立て時には、2ボランチの1人が最終ラインまで下がります。これに呼応して左右のCBがワイドに開き、一時的に「4バック」のような形を作ります。
2人のボランチの役割は明確です。
- 下がるボランチ:最終ラインでビルドアップをサポート
- 残るボランチ:前線と最終ラインを繋ぐリンクマン
この「4バック化」の狙いは、プレスに来る相手FWに対して数的優位を作ること。もし相手のプレスが緩く、3人のままで数的優位が確保できるなら、無理に形を変えることはしません。GKが加わって数的優位を作るケースもあります。
安定したボール回しで相手の守備ブロックを左右に揺さぶり、守備陣形の「ズレ」を作り出すことが第一歩です。
2. 前進
守備ブロックを揺さぶり、バランスが崩れた隙を見逃さずに前進します。 ここでは以下の選手たちが主役になります。
- WB:サイドを上下動し、サポートに入る
- シャドー:ライン間でボールを引き出し、前線と後ろを繋ぐ
- CF:ポストプレーで起点を作り、シャドーやボランチの前向きなプレーを促す
ポイントは、「相手DFの背後を取りつつ、前を向きやすい角度」と「5〜8m程度の適切な距離感」です。ボール周辺に人を集め、トライアングルを作りながら安定してボールを運びます。
3. 相手ゴール前の最終局面
相手を押し込んだ後は、相手DFラインの人数に対して「+1人」を送り込み、カオスを作り出します。 基本的にゴール前になだれ込むのは、CF、2シャドー、2WBの計5人。状況によっては左右のCBまでもが攻撃参加します。
この局面で狙うのは「ハーフスペース(CBとSBの間のスペース)」、特にその深い位置にある「ポケット」です。
- WB : 相手SBをピン留め
- CF・片方のシャドー : 相手CBをピン留め
こうして相手DFを特定の位置に釘付け(ピン留め)にし、自由を奪った状態で、フリーになった「+1人」の選手がハーフスペースを強襲します。 この「+1」はシャドーだけでなく、遅れて飛び込むボランチや、逆サイドのWBであることもあります。対応に追われる相手DFのスライドが間に合わなくなれば、決定的なチャンスが生まれます。
札幌時代には、左CBに高精度の左足を持つ福森晃斗選手を起用し、パスによる「横の揺さぶり」に加え、正確なフィードによる「縦の揺さぶり」も交えることで、より崩しやすくしていました。
守備の狙い
守備の原則は大きく3つあります。
- カウンタープレス:ボールを失った瞬間に奪い返す
- ハイプレス:相手のビルドアップに対し高い位置から奪いに行く
- リトリート:奪えなかった場合は自陣に撤退してブロックを作る
ミシャ式では、ショートパスで前進するために、ボールホルダーの近くに多くの味方が集まるのが特徴です。そのため、ボールを失った瞬間も「周りに味方が多い」状態であり、即座にプレスをかけやすい環境が自然と整っています。
最大の狙いは、攻守が切り替わった瞬間にボールを奪い返す「即時奪回」です。 もし即時奪回に失敗した場合は、相手の状況によってその後の対応を使い分けます。
- 相手が後ろ向きでボールを持った場合: 【チャンス】 ハイプレスに移行し、相手陣内深くでのボール奪取を狙います。
- 相手が前向きでボールを持った場合(またはプレスを剥がされた場合): 【ピンチ】 即座に自陣へ戻り、ブロックを作ります。
- 3CB+両WB = 5バック
- 2ボランチ+2シャドー = 4枚の中盤 これらで強固な「5-4」の守備ブロックを形成します。
ハイプレス、カウンタープレスとは
1. ハイプレス
相手のビルドアップに対し、高い位置から規制をかける守備です。 強度の高いプレスで相手の自由を奪い、守備側が狙ったスペース(取りどころ)へ誘導したり、苦し紛れのパスを出させてボールを奪い取ります。 ポイントは「DFラインを高く保ち、プレーエリアを狭める」こと。蹴り出されたロングボールに対しては、CBが跳ね返すだけでなく、広大なDFラインの裏をGKがカバーすることも求められます。
2. カウンタープレス
攻撃側がボールを失った「瞬間」に、周囲の選手が一斉に襲いかかる守備です。 相手のボールホルダーを複数人で一気に囲い込み、窒息させます。ハイプレス同様、直接奪い取るか、苦し紛れのパスを誘発して回収します。
似て非なる2つのプレッシングについて整理します。
項目 | ハイプレス | カウンタープレス |
発動タイミング | 相手のビルドアップ開始時 | 自分たちがボールを失った「瞬間」 |
奪う場所 | 相手陣内の深い位置 | ボールロスト地点の周辺 |
目的 | ビルドアップ阻害、高い位置での奪取 | 即時奪回、相手カウンターの阻止 |
ミシャ式では、まず「カウンタープレス」が第一優先。それが不発で相手がセットしてビルドアップを始めた場合に、「ハイプレス」(時にはオールコートマンツーマン)に切り替えます。
起用される選手の特徴(例)
ミシャ式で輝く選手の特徴と、過去の教え子たちを挙げてみます。
- CF、シャドー:特徴:ポストプレー、得点力、高い戦術理解度
- 選手例:佐藤寿人、興梠慎三、鈴木武蔵、キャスパー・ユンカー
- WB:特徴:豊富な運動量、単独で剥がせる推進力
- 選手例:ミキッチ、駒井善成、ルーカス・フェルナンデス
- ボランチ:特徴:戦術眼、CBのカバーリング能力、散らしのパス
- 選手例:森崎和幸、阿部勇樹、稲垣祥(想定)
- CB:特徴:攻撃参加、ビルドアップ能力(本職MFのコンバートも多い)
- 選手例:槙野智章、福森晃斗、田中駿汰
- GK:特徴:足元の技術、広大なDF裏をカバーする機動力
- 選手例:西川周作、ク・ソンユン
ミシャ式の強みと弱み
強み:攻撃は最大の防御
最大の強みは、ボールを保持し続けることで「自分たちが攻撃し、相手に攻撃させない」時間を最大化できる点です。かつて名古屋を率いた風間八宏元監督の哲学にも通じますが、「マイボールである限り失点はしない」という究極の論理です。
そして何より、観ていて面白い。スペクタクルな展開はスタジアムに観客を呼び、クラブの収益基盤を安定させることにも繋がります。
弱み1:押し込めない展開での「手詰まり」
「+1(数的優位)」を作って崩すためには、相手を自陣深くまで押し込む必要があります。 ビルドアップが機能せず押し込めない場合、相手ブロックの外でボールを「持たされる」だけの状態になりがちです。そこから焦れて無理な縦パスを入れ、ロストしてカウンターを食らう……という悪循環は典型的な失敗パターンです。 また、時間をかけすぎて相手に守備ブロックを完璧に作られた場合、こじ開けるのは容易ではありません。「時間をかけて崩すか、リスクを冒して速攻か」。ピッチ内の選手の判断力が問われます。
弱み2:カウンターへの脆さ
攻撃に多くの人数を割くため、ボールを奪われた瞬間の背後は手薄です。
即時奪回に失敗した場合、広大なスペースを相手に使われてしまいます。
2024年J1第6節・札幌対名古屋戦を思い出してください。
河面旺成選手のロングパスに抜け出した永井謙佑選手が決めたあのゴールは、前掛かりになったミシャ式の背後(構造的な弱点)を見事に突いた典型例でした。
オールコートマンツーマンの功罪
前項で触れたミシャ式の弱点、「カウンターのリスク」。これを最小限に抑えるために採用されるのが「オールコートマンツーマン」です。 この戦術の目的はシンプル。各選手が目の前の相手をマークして自由を奪い、現代サッカーの主流である「ショートパスによるビルドアップ」を窒息させ、即時奪回することです。
名古屋グランパスでも長谷川健太前監督が導入していましたが、この戦術には以下のメリットがあります。
- タスクの明確化:目の前の相手に集中すればよいため、迷いがなくなる。
- 理論上の最強:全員が1対1で勝利すれば、理論上、守備は絶対に破綻しない。
ハマれば強力で、観ていて非常に面白い戦術ですが、そこには明確なリスクが2つ存在します。
1. 「個の質」で負けた瞬間のドミノ倒し
オールコートマンツーマンは「1対1で勝つこと」が絶対条件です。 通常のゾーンディフェンスであれば、1人が抜かれても隣の選手が「カバー」に入ることができます(チャレンジ&カバー)。しかし、マンツーマンの場合は隣の選手も自分のマーク相手に張り付いているため、安易にカバーへ行けません。
もし、相手に三笘薫選手やマテウス・カストロ選手のような強力なドリブラーがいた場合、どうなるでしょうか。 彼らに1人で2〜3人を剥がされた瞬間、守備側に致命的な数的不利が生まれます。剥がされた選手のカバーに誰かが飛び出せば、その選手がマークしていた相手がフリーになる……という「後手後手の循環(ドミノ倒し)」が発生します。こうなると相手は選択肢を多く持てるため、容易に失点へと繋がります。
【「個の質」で負けるリスクへの対策】
「ボールの取りどころ(誘導先)」を設定することです。 ただ闇雲に1対1をするのではなく、チームとして「ここでボールを奪いたい」という場所へ相手のパスコースやドリブルコースを限定(誘導)します。 「想定内の場所」にボールを出させることができれば、万が一抜かれても次手が打ちやすくなります。それでも剥がされた場合は、広大なスペースを守り切れるCBの個の能力と、GKのカバーリングが最後の生命線となります。
2. 配置を動かされて「危険なスペース」を使われる
マンツーマンは「人についていく」守備です。これを逆手に取られるのが2つ目のリスクです。 攻撃側が意図的にポジションチェンジを繰り返し、守備側の選手を動かすことで、本来守るべき危険なスペース(ゴール前やバイタルエリア)を空っぽにさせられるのです。 個人のドリブルで剥がされるよりも、戦術的に無力化されるこちらのパターンの方が厄介と言えるかもしれません。
【配置を動かされて、「危険なスペース」を使われるリスクへの対策】
こちらも同様に、「ボールの取りどころ」の設定が重要です。 ただし、スペースを空けさせられないよう、自陣ゴールから遠い場所(主に相手SBなど)を取りどころに設定し、危険なエリアから遠ざけることがセオリーです。また、チーム内にボール奪取能力がずば抜けて高い選手(狩人)がいる場合、その選手のエリアへ誘導して奪い取る戦術も有効です。
2025年の名古屋グランパスとミシャ式のつながり
長谷川健太体制を経て迎える2026年、グランパスはどう変わるのでしょうか。
2025年まで我々が苦しみながら手にした「守備強度」や「走力」。これらは決して無駄にはなりません。ミシャ式を実装するための土台として、これらの要素は不可欠だからです。
「強度」というグランパス伝統の土壌に、ミシャ式という新たな苗がしっかりと根を張り、その先に「論理的な攻撃」という花を咲かせることができるのか。 2026年の成功は、この「融合」が成し遂げられるかどうかに掛かっています。
ミシャ式の理想 | 2025年までのグランパス | |
攻撃 | 可変システムで「+1」を作り崩す | 右CB(原選手等)やCMF稲垣選手の上がり等で部分的模倣 |
ビルドアップ | GKも参加し数的優位確保 | GKを含めたビルドアップへの挑戦 |
守備 | 即時奪回(ハイプレス) | 堅守速攻、強度の高いプレス |
特殊戦術 | オールコートマンツーマン | 実戦でのトライ&エラー済み |
最後に:2026年は「融合」の年に
長谷川体制の遺産と、ミシャ式のメカニズム。ここまで解説してきましたが、私が考える「ミシャ式の面白さ」は結局のところ、以下の2点に尽きます。
1つは、試合のあらゆる局面で「数的優位」を作る論理的な再現性があること。 そしてもう1つは、攻撃に特化するがゆえの「ハマれば最強、崩れれば脆い」という博打的なスリルです。
この「危うい魅力」を秘めた新スタイルと、2025年までに培った「高い守備意識」という遺産。これらをどう融合させるかが、2026年の最大のテーマとなるでしょう。
論理とエンタメを共存させる稀有な名将、ミシャ。 いざ開幕してみれば予想外の姿かもしれませんが、スタジアムでふと「あ、これ記事で読んだ動きだ!」と新たな発見をして、皆様がグランパスをより一層楽しんでいただければ幸いです。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


