瑞穂スタジアムに初めて足を運んだのはいつだっただろう。
残念なことに、私は初めて瑞穂で観戦したのがいつ、どんな試合だったかを覚えていない。
だが、気づけばずっと前から好きな景色がある。
私は通常、メインスタンドで観戦している。入場して、階段を上り、ブロックゲートから客席に出るとまず目の前に広がるのは緑のピッチ。そして正面には聖火台とそれを囲むように風に翻るグランパスの旗。
この旗が風にはためく景色は、瑞穂でしか味わえないものだ。この景色を見ると心の中から湧き上がってくる何かがある。
そして、もう一つ好きな景色は晴れた日のゴール裏。青い空に白い雲。その下に広がる鮮やかな赤に染まったスタンド。そして緑のピッチ。青と白と赤と緑。この美しい色の競演が、私にとってグランパスの景色だ。
最近気づいたこと。瑞穂の外観は横から見ても美しい。最近はファンクラブブースやグッズ販売の一部がレクリエーション広場に設置されることが増えた。広場へ行き来をしているうちにふと見上げた時、そこにあった瑞穂の横顔は思いの他美しかった。
この瑞穂スタジアムにはたくさんの楽しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、悲しいことがあった。
私はかつて、平野孝が大好きだった。彼らが名古屋を退団することになった時、いったんグランパスを離れてしまった。当時の私にはそれほど衝撃だった。だから私には空白期間があって、本田圭佑や豊田陽平がこのピッチでプレーした姿を見ていない。
しかし、ストイコビッチが監督として戻ってくるのを知った2007年の秋、再び私は瑞穂に帰ってきた。瑞穂は変わらずそこにあり、ピッチに吉田麻也がいた。
2010年、私たちは強かった。
2011年も私たちは強かった。
試合ごとに皆で喜び、負けを見ることはほとんどなかった。
2015年10月24日新潟戦。前節で600試合出場の大記録を達成した楢崎正剛を称え、瑞穂の入場ゲートには「前人未踏 楢崎正剛」の大きなパネルが掲げられた。ゴール裏には青空のもと「600」のコレオが出現し、皆で楢崎の偉業を称えた。この上なく誇らしかった。
なんといっても強く印象に残っているのは、2016年11月3日。これを書いている今日からちょうど4年前だ。この日、瑞穂でクラブのJ2降格が決まった。
降格が決まった瞬間のスタジアム、本当はどうだったのだろう。私の中に残っているのは、静まり返るスタジアムの中、遠くから湘南のチャントだけが聞こえてくるその歌だけ。楢さんが泣いているのが見えた。私自身は不思議と涙は出なかった。試合が終わって外へ出たもののなぜか帰る気にならず、次第に人気がなくなっていく広場をしばらくの間あてもなく歩き回っていたことを覚えている。
2017年2月26日、開幕の岡山戦。瑞穂の広場はサポーターであふれていた。
降格したチームにこれだけの人が集まったことに驚いた。
夏、瑞穂は快進撃の舞台になった。記憶に残る7-4の愛媛戦。ジェットコースターのような試合経過に熱狂し、瑞穂は大きな歓声にわきかえった。
そして2018年12月1日。私たちは2年の時を経て、再びこの瑞穂、再び最終戦で再び湘南と相まみえた。試合が終わった後のなんともいえないざわつき。プレーオフを覚悟した時に、ゴール裏の一角から上がった歓声。次第にあちこちからざわめきが広がって、やがて残留を知ったピッチの選手たちが喜びを爆発させ、一気にに湧き上がるスタジアム。場内を一周しながら湘南サポーターと一緒に万歳をするグランパスの選手たち。
2019年9月21日。ファン感謝デーの日。私は重い気持ちを引きずるように瑞穂のメインスタンドに座っていた。前日に流れた風間監督解任の報道。クラブが報道を否定してくれるのではないか、続投を宣言してくれるのではないか。もう覆ることはないだろうとどこかで分かっていて、それでも一縷の望みを抱いてステージを見つめていた。
私はあの時ほど重苦しい気持ちのまま瑞穂にいたことはない。噂通り解任が決まった時、私はしばらくスタジアムに足を運ぶことはないだろうと思っていた。だが、一試合を休んだだけで私は結局離れることはなくすぐにまたスタジアムに戻ってきた。その試合は瑞穂。目の前には聖火台が変わらず立っていて、グランパスの旗が翻り、ピッチは美しい緑だった。
色々なことがあった。私にこれらの思い出があるように、サポーターひとりひとりが色々な想い出を持っているだろう。
私たちは12月19日を最後に、少しの間瑞穂にお別れをする。
6年後、瑞穂はどんな姿を見せてくれるだろう。その時、グランパスはどんなクラブになっているだろう。6年後の私は誰のユニフォームを着ているだろう。
それでも6年後、私たちはここに帰ってくる。瑞穂は私たちの家だ。