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木村勇大はどんな選手なのか? #grampus

2025年8月5日 木村勇大選手の獲得が発表されました。

グランパスの求めるFW像

FWのタスクを因数分解してみましょう

  • 1)クロスやパスを収めてシュートする(ストライカー)
  • 2)クロスやパスを収めて他のアタッカーにラストパスを出す(ポストプレー)
  • 3)ゴールキックやロングフィードを収めて他の選手に繋ぐ(ポストプレー)
  • 4)プレスをかけて相手のセンターバックの自由を奪う(1st ディフェンダー)
  • 5)相手の守備を剥がしてドリブルしたり、守備の穴を突いて得点に繋がるプレーをする(チャンスメーカー)
  • 6)プレスの方向と枚数が限定されるサイドで勝負し、振り切ってクロスを上げたり、カットインしてシュートする(チャンスメーカー)

山岸祐也選手がポストプレー(2・3)を担います。この面ではほかにできる選手はおらず、独壇場と言って良いでしょう。

1stディフェンダー(4)としては、これまでのパターンですと永井謙佑選手と和泉竜司選手または森島司選手が担うことが多く、それなりにハマってはいるものの、永井謙佑選手のスタミナ面での衰えが今年激しく、長時間維持できなくなっているところが問題でもあります。

チャンスメイク(5・6)はリーグのなかでは低いものの(16位)、同タイプのチームである町田ゼルビアと同じで、ヴィッセル神戸に比べてもそこまで大きく離されているわけではありません。チャンスメーカーである和泉竜司や森島司がそれなりに結果を出していることがわかります。

課題となっているのは1. ストライカーです。

シュート決定率はグランパスのFW全体で低く、数値が低いのが問題です。

名古屋グランパスのシュート決定率(2025年8月7日時点)
名古屋グランパスのシュート決定率(2025年8月7日時点) ※J.STATS

ベスト10圏内にいるのはチャンスメーカーである森島司・和泉竜司両選手を除けば山岸祐也選手しかいません。

永井謙佑選手の3.6という数値が悲しいところです。

ストライカーが必要だ、という合意がチームのなかで作られた、ということでしょう。

シーズン前の補強候補はどうだったのか?

シーズン前補強候補として挙げられたのは、「点を取らせる選手」である細谷真大選手、「点を取らせることも、自分で取ることもできる選手」である武藤嘉紀選手でした。

代わりに加入したのがマテウス・カストロ選手。純粋な「点を取らせる選手」ではありませんが、それなりにチャンスを作ってくれています。

そこで期待されていたのがキャスパー・ユンカー選手で、2023年16ゴールだった彼への期待は大きかったと思います。ですが怪我で出遅れ。復帰後も先発の機会で結果を出せていません。

どうして木村勇大選手だったのか?

Football-Labプレイングスタイル指標の比較
Football-Labプレイングスタイル指標の比較

Football Lab のプレーイングスタイル指標において、懸案となっていた「決定力」が12、「パスレスポンス(パスの受け手としての質)」が13、「敵陣空中戦」が7と極めて高い評価を受けている。

ゴール関連データ(J STATS)
ゴール関連データ(J STATS)

やはり目を引くのはシュート決定率です。これが欲しかった。今年の永井謙佑選手が3.6ですから、16.9がどれだけ高い数値か解るはずです。昨年ひどかった(5.6)山岸祐也選手は今年10.5に持ち直しています。

アスリート能力関連データ(J STATS)
アスリート能力関連データ(J STATS)

注目して欲しいのはアスリート能力です。トップスピードでは細谷真大選手に次ぐ35km/hを記録しています。この数値は2024年の永井謙佑選手と同じです。(ただし、永井謙佑選手のすごいところは、トップスピードではなく、「初速」(トップスピードに至るまでの速さ)なんですよね)

永井謙佑選手役を担える素材としても期待できるのではないでしょうか。

チャンス創出関連データ(J STATS)
チャンス創出関連データ(J STATS)

木村勇大はチャンスを作るという点では飛び抜けた選手ではありません。

1人でなんでもできてしまう武藤嘉紀選手は獲れなかったが、チャンスを作れるマテウス・カストロ選手が取れた。だから分業で決定力の高く、アスリート能力の高い選手を獲った、というところなのではないでしょうか。

木村勇大選手はどんな選手なのか?

匿名のヴェルディサポーターの木村勇大選手評をお送りします。

逆境が育んだ強靭な精神性

木村のプロキャリアは、輝かしいスタートとは程遠いものだった。関西学院大学時代から将来を嘱望され、特別指定選手として加入した京都サンガF.C.では、プロの壁に直面した 。本人が「苦しくてしんどいプロ1年目」「自分を見失いかけた」と振り返るように、大きな期待とは裏腹に、出場機会に恵まれず苦悩の日々を送った 。

この状況を打開するため、彼は安易な道を選ばなかった。複数の選択肢の中から、あえて「一番厳しいところに行こうと思って」J2のツエーゲン金沢への育成型期限付き移籍を決断する 。金沢ではチームがJ3に降格し、自身も10試合出場1得点という結果に終わったが、彼はこの経験を「間違った選択ではなかった」と断言する。なぜなら、そこで「試合に出る喜びを思い出させてもらえた」からだ 。

この一連の経験が、彼の精神的な基盤を形成した。京都での挫折から、彼は自ら厳しい環境を求め、そこでサッカー選手としての原点を取り戻した。そして、翌年に東京ヴェルディへ移籍する際には、「今年ダメならもう終わりだな」「プロ生活がやばい」という、後がない覚悟で臨んだ 。彼のキャリアを俯瞰すると、停滞を感じた際に自ら困難な状況に身を投じることで成長を促してきた軌跡が見て取れる。今回の名古屋への移籍も、J1での得点力不足という新たな壁に直面した彼が、自らを再び高みへと押し上げるために選択した、高負荷の挑戦と解釈できる。

城福体制下の変容:頑固さから受容性へ

木村が2024年に東京ヴェルディでブレイクスルーを果たした背景には、城福浩監督をはじめとするコーチングスタッフとの出会いが決定的な役割を果たした。彼は自身の過去を「結構、頑固だった」「自分はこうと思ったらそこを曲げれなかった」と語っている 。しかし、ヴェルディではその姿勢を180度転換させた。「とりあえず城福さんに言われたことは、全部やってみようと思って」と、自らのプライドを一旦脇に置き、指導を素直に受け入れる「謙虚」な姿勢へと変化したのである 。

この精神的な変化が、彼の才能を解き放つ鍵となった。城福監督は木村に対し、「“見せかけの守備じゃダメだ”」といった厳しい要求を突きつけ、彼のプレー基準を根本から引き上げた 。さらに、森下仁志コーチは技術指導のみならず、彼が悩んでいるときにはカフェで話を聞くなど、精神的な支柱として寄り添った 。木村自身が「どん底にいた自分を救い出してくれ、新たな世界を見せてくれたのはヴェルディであり、城福さん、(森下)仁志さんをはじめとするスタッフ陣」と語るように、そこには戦術的な指導を超えた深い信頼関係が構築されていた 。

この事実は、重要な問いを提起する。木村の精神的な変容とそれに伴う成長は、永続的なものなのか、それとも城福監督という特定の指導者と、彼を温かく支えたヴェルディという特殊な環境に依存したものだったのか。彼の名古屋での成功は、長谷川健太監督という異なるスタイルの指導者の下で、再びこのような絶対的な信頼関係を築き、指導を受け入れる受容性を維持できるかどうかに大きく左右されるだろう。

「10番」の重圧とシーズン途中離脱の葛藤

2024年の活躍を経て、木村は東京ヴェルディへ完全移籍し、クラブの象徴である背番号「10」を託された 。これはクラブからの最大限の信頼の証であり、彼がチームの顔となることを期待された瞬間だった。しかし、そのわずか半年後、彼はJ1での残留を直接争う名古屋グランパスへの移籍を決断した 。

この決断は、当然ながら大きな波紋を呼んだ。木村のコメントは、ヴェルディへの謝罪と感謝の念で満ちている。「伝統あるクラブの10番を背負ったのにも関わらずシーズンの途中でチームを離脱することになってしまい本当に申し訳ありません」「この決断をするにあたって、悩みに悩んで考え抜いた上で決めました」という言葉からは、彼の深い葛藤がうかがえる 。一部のサポーターからは、キャリアを救ってくれたクラブへの「裏切り」と捉える厳しい声も上がった 。

一方で、名古屋加入に際しては「相当な覚悟と決意を持ってこのチームに来ました。この選択を正解にし、グランパスの勝利に貢献できるよう持てる力の全てを注ぎます」と力強く宣言している 。ここには、ヴェルディで再生した「チームのために戦う選手」という側面と、より高いレベルを目指す「個人の野心家」という側面との間の緊張関係が表れている。彼はクラブへの忠誠よりも、自身のキャリアを前進させるための新たな挑戦を選択した。

この移籍により、彼は自らプレッシャーのるつぼに飛び込んだ。約2億円と報じられる高額な移籍金 、そして愛してくれたサポーターを悲しませたという事実。彼が名古屋で成功を収めることは、この困難な決断を「正解」にするための絶対条件となった。

ストライカーの二面性:ピッチ上の自信と繊細さ

ピッチ上での木村は、ストライカーらしい大胆さを見せる。大学時代にはPKでチップキック(パネンカ)を披露するなど、そのメンタリティはFW向きだと自認している 。しかし、その大胆さは状況に左右されるものであり、彼の内面には異なる側面が存在する。

彼は自身を「繊細な部分もある」と分析し、試合前の決まったルーティーンが崩れると不安になることを明かしている 。この自己分析は、大学時代の同期である山田剛綺(東京ヴェルディ所属)の彼に対する評価とも一致する。山田は木村を「めちゃくちゃはしゃぐようなタイプではない」「打ち解ければ、ワイワイするのは嫌いじゃない」と評しており、初対面では物静かだが、関係性が深まるにつれて心を開くタイプであることを示唆している 。

これらの証言から浮かび上がるのは、ピッチ上の自信に満ちた姿が、安定したオフ・ザ・ピッチの環境と確立されたルーティーンによって支えられているという人物像である。彼の最高のパフォーマンスは、管理された環境下での心理的な安定感と密接に結びついている可能性がある。シーズン途中の移籍という、環境が激変し、人間関係も一から構築し直さなければならない状況は、彼が頼りにしてきた安定性を根底から揺るがすものだ。名古屋でいかに早く新たなルーティーンを確立し、信頼できる人間関係を築けるかは、彼の適応とパフォーマンスを左右する見過ごされがちな重要因子となるだろう。

木村勇大選手獲得の意味

グランパスは伝統的に堅守速攻をベースとしています。

そうなると最前線で体を張れる強力なセンターフォワードの存在が不可欠です。しかし、1人でストライカー・ポストプレー・1stディフェンダー・チャンスメーカーすべてを担える選手は希少で獲得は困難です。その可能性を秘めた貴田遼河選手はアルゼンチンに移籍してしまいました。

その結果、現在のFW陣には経験豊富な永井謙佑選手(36歳)や、得点力はあるものの負傷がちなキャスパー・ユンカー選手(31歳)、山岸祐也選手(まもなく32歳)らがいますが、若手選手は現在杉浦駿吾だけ。世代交代は喫緊の課題でした 。木村勇大選手はそのスピードで永井謙佑選手の役割を担える可能性もあり、全盛期のキャスパー・ユンカー選手なみの決定力でストライカーを担える可能性もある選手です。ただし、パトリック選手のようなヘディングの強さはなく、永井選手よりもちょっと強いくらいなことは理解しておく必要はあります。すなわち、万能な選手ではありません。

しかし大きな期待としてこれらの戦術的役割を、より若く、将来性を持って担うことができることに期待できます。

つまり、グランパスの木村勇大選手獲得は、単なる今季の補強に留まらない。今後5年から7年先を見据えた、クラブの攻撃陣の核となる日本人ストライカーへの先行投資と考えていいでしょう。高額な移籍金は、彼の現在の能力だけでなく、クラブが抱える構造的な課題に対する長期的な「解決策」としての期待値が反映されたものと言えます。

一方でグランパスでは投資に見合う結果を即座に求められる「ソリューション」となります。そのプレッシャーは、これまで彼が経験したものとは比較にならないほど大きいでしょう。彼には心を支える応援が必要になるはずです。応援しましょう。

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About The Author

グラぽ編集長
大手コンピューターメーカーの人事部で人財育成に携わり、スピンアウト後は動態解析などの測定技術系やWebサイト構築などを主として担当する。またかつての縁で通信会社やWebメディアなどで講師として登壇することもあり。
名古屋グランパスとはJリーグ開幕前のナビスコカップからの縁。サッカーは地元市民リーグ、フットサルは地元チームで25年ほどプレーをしている。

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