来てしまった2021/11/11
2021年11月11日私にとって何かが切れたような感覚に襲われた
玉田圭司、現役引退ー
発表当時は大学の授業中で見ることが出来なかったため、昼食後に見たSNSのTLで絶望のような感覚ーそして何かが抜けたような感覚に襲われていた。
今季17試合2得点、あと1年くらい余裕なのでは…そう思うくらい途中出場が主の中でも彼のゴールは40代とは思えぬ美しさだったと感じた。
彼の出会いは、私の人生を大きく左右する存在であったことを今回書きたいと思う
偉大なる玉田との出会い
今から10年前、当時小学4年生の私は福岡市に住んでいた。福岡といえばホークス一色で私もテレビやヤフードーム(現PAYPAYドーム)に行って応援していた。この年2003年以来の優勝を果たすもCSでロッテに敗れて日本一を逃してしまった年、空白感に襲われたような感じで学校生活を送っていた。
そんなある日テレビのニュースで一番に流れていたもの…
ー名古屋グランパスが悲願のJ1制覇ー
このニュースをなんとなく見ていた私だったが、決勝ゴールを見て目つきが変わった 杉本恵太のクロスをヘディングで叩き込んだのは、偉大なる11番玉田圭司ー
決して背が高いわけではない、しかし勝負所でゴールを決めるあの姿が未だに脳裏に 焼き付いている。
この日のゴールが数年後自分の人生を左右することはー当時はまだ知るよしもなく。
2017年赤鯱軍団の窮地に戻った偉人
玉田のゴールから数ヶ月後、私は父の仕事の都合で福岡から現在住んでいる川崎へと引っ越した。野球一色だった福岡と打って変わって、フロンターレ一色の川崎に最初は戸惑った。それから数年が経ち、中学時代。
始めた部活動でうまくいかなくて落ち込んでいた時に、たまたま見かけたフロンターレの試合で私はサッカー観戦にはまった。目の前で大久保嘉人が2得点をとって勝った試合だった。
そんなこんなで月日が流れて高校一年生の頃…
名古屋グランパス J2降格ー
偶然テレビで流れた姿を見て呆気に取られた
名古屋の守備の要闘莉王が愕然とする姿に声を失った。
それ以上にあの日瑞穂のピッチに背番号11玉田圭司がいなかったことに大きなショックを覚えた。
楢崎、闘莉王、川又、田口あれだけの人がいたにも関わらず、降格するなんて信じられない…そう思っていた
しかし窮地の赤鯱軍団に光がさした…
このニュースをみた瞬間、あの時の光景がフラッシュバックした。
私はこの時グランパスサポーターになろうと決意した。
もし玉田圭司がグランパスに戻っていなければ…私はグランパスを応援していなかっただろう。
11番こそ佐藤寿人に譲ったが、玉田圭司が戻ったグランパスが本来の姿なのだ。そう感じた。
2度目の別れ
高校生活を経て大学生になる直前に玉田圭司が契約満了となった。突然で、予想もしないことから大森SDに対する批判が殺到した。近年の多くの戦力補強で評価されているが、私が大森SDを受け入れられないのはこの件によるものだ。
「あまりにも(退団が)突然だったので正直、頭を整理するのに少し時間がかかりました…。2014年に1度退団し、その2年後に帰ってきて名古屋グランパスに誠心誠意を持ってやってきましたが、契約しないと伝えられた時には労いの言葉の1つもなかったことにはがっかりしました」
それもそのはず、名古屋に悲願のリーグ優勝をもたらし、グランパスが窮地に陥った時に佐藤寿人と共に赤鯱のユニに袖を通し、J1復帰、残留するという漢気ストーリーをもたらしている。にも関わらず「労りの言葉なく」と本人が語っていたのを見て、悲しみを通り越して怒りまで湧いてきた。
https://www.nikkansports.com/soccer/news/201812060000345.html
偉大なる11番としてー相馬への期待ー
今赤の背番号11は相馬勇紀がつけている。私が相馬勇紀を応援する理由、それは偉大なる玉田圭司を超えられると信じているからだ。
2018年の異次元の活躍を見て私は玉田圭司、佐藤寿人、マテウス、阿部浩之…偉大なる11番を背負った男になれると思ったからだ。
そして相馬勇紀も玉田圭司の姿を間近で見ている。
私は今年始めに相馬勇紀のユニを購入したが、迷いはなかった。玉田圭司を超えられる。そう信じているからだ
最後にー玉ちゃんへー
野球(ホークス)一色だった私の人生を変えた玉田圭司には感謝しかない。もちろんサッカー観戦の面白さを教えてくれた大久保嘉人にも感謝だが、あの時優勝のヘディングシュートが、数年後グランパスを応援する縁に繫がった最大の要因だと思えば感慨深い。
本当は名古屋のユニで現役を去って欲しかったが、綺麗な去り方ではないため、グランパスに戻ってくる可能性は低いかもしれない。しかし私にとって玉田圭司とは
ー自分の人生を変えてくれた偉人であるー
サポ歴の浅い私が言っても説得力は薄いが、それだけ人生を変えたのだから
ありがとう玉ちゃん
そしてお疲れさまでした。