フモフモさん と名古屋系のブロガー、 @derorinkuma さんとが、ほぼ同時に似たようなエントリーを掲載しています。
http://blog.livedoor.jp/vitaminw/archives/53102567.html
これによると、2015年明治安田生命J1リーグファーストステージ第1節のチーム走行距離はダントツで名古屋が少なかったようです。※18チーム中18位
それについて少し考察してみたいと思います。
- 名古屋は走らない?
データで現れていますので、走行距離が長くないことは事実です。ただ、Number Webでは中村憲剛選手のスタッツに触れられており、スプリント3回、距離も大して長くなくても決定的な仕事をしていることが触れられています。
名古屋が昔から運動量が少なかったか、というとそんなことはありません。ベンゲル監督の時代に始まり、ダイナミックなサイドチェンジとサイド攻撃が売りだったチームの走行距離のデータはありませんが、少なかったとはとても思えません。ただ、この数年はそういう傾向があったのは間違いないでしょう。ではその傾向はいつから産まれたのでしょうか。
- 2008年の成功と失敗
今の名古屋のスタイルは、長期政権でもあったストイコビッチ監督のもとに育まれたものではないかと思われます。就任初年度のグランパスはワイドに仕掛ける4-4-2で、運動量豊富な小川とマギヌンのコンビ、中央を鍵をかける中村吉村コンビ、FWにヨンセンと玉田という強さと上手さを兼ね備えたコンビを配置して、J1を席巻しました。これはベンゲルサッカーの再来、と一部でもてはやされましたが、しかし、あと一歩のところで優勝には届きませんでした。その失敗の理由はマギヌンという絶対的なゲームメーカーが離脱したあと、その穴を埋めることができなかったこと。そして大きな運動量を求められる小川のポジションに代役がいなかったことです。
前年までFWのレギュラーだった杉本、また鹿島からレンタルの深井らが、新しいシステムに馴染めず、非常に層の薄い状態でした。また、夏場に調子を落としていたのも運動量を多く取るシステムだったことが原因と考えたようです。
2009年、ACLを戦うとその傾向は顕著になりました。そこから方針の転換を行ったと考えられます。
- 2009年以降のシステム
2010年以降のシステムは「長丁場のリーグを過密日程でも戦いぬく」ことを想定したシステムになりました。運動量よりも、強いストライカーを使い尽くすというスタイルです。これにより、連戦の影響は受けずに他の運動量豊富なチームが真夏に調子を落とすなかでグランパスは運動量を制限したなかで同じサッカーをやり続け、連勝をします。2010年はそれが決め手となり、悲願の優勝を果たしました。それでも終盤に吉村、田中マルクス闘莉王、金崎夢生、ブルザノビッチ、ダニルソン、そして最終節後にはケネディまで離脱するはめになりました。これは運動量とは関係なく発生したことと思いますが、コレ以上負荷をかけてはマズイ、とピクシーを考えさせるのに十分な事象でしょう。退任まで、似たようなシステムが続いていきます。
- まだグランパスはピクシー政権下の影響を脱せていない
現在のグランパスのメンバーのなかで、純粋にピクシー政権下の影響を受けていないのは小屋松知哉選手や青木亮太選手など限られた新人だけです。特に守備に関しては本職ではない矢野貴章選手を除いて、どうしてもピクシー政権下の影響が残っているのは否めないでしょう。これは時間の問題で変わっていくと思われますが、どうも西野監督は守備のシステム構築はそれほど得意ではないようです。
チームの文化がそう簡単に入れ替わるものではありませんが、要するに機能すれば良いのです。サッカーは走行距離を争う競技ではなく、ゴール数を競う競技なのですから。実際走行距離トップの横浜は、川崎フロンターレに3-1で敗れている、ということも意識しておく必要があります。