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[コラム] 宇都宮徹壱の「尾張よければすべて良し」第1回 「グランパスくん」

宇都宮徹壱さんにコラムを寄稿いただきました。

不定期ではありますが、今後も寄稿いただけることになっております。
※コラムのロゴ(ヘッダー画像)作っておりましたが、デザイン能力のなさに涙しております。
どなたかロゴ(ヘッダー画像)作っていただけるかたがいたらお願い致します。

第1回のお題は「グランパスくん」です。

グララ
2015年明治安田生命J1リーグ第1節のときの画像です

グランパスくんはマスコット界の「ロングセラー」である

今年のJ1の開幕戦は、豊田スタジアムで行われた名古屋グランパスのホームゲームを観戦した。相手はJ1に昇格したばかりで、このところメディア露出が著しい松本山雅FC。そして前座試合として、昨シーズンで現役を退いた中村直志氏の引退試合も予定されていた。待ちに待った開幕戦であることに加え、話題性やお得感のあるイベントもあったため、この日の公式入場者数はホーム開幕で最多となる3万3558人を記録。これで試合内容と結果が伴っていれば名古屋サポにとって有意義な一日となったことだろう(結局、3−3の引き分け)。
個人的に「お得感」を覚えたのは、マスコットのグララちゃんと対面できたことである。「師匠」ことグランパスくんは、ゼロックススーパーカップのイベントなどでよく見かけるが、娘の赤鯱はやはり豊スタか瑞穂まで出向かないと、なかなか出会えない。私が彼女と出会ったのは試合前のコンコース。小走りして転んで、すぐに立ち直る姿を撮影して悦に浸っていたが、試合後にはグランパスファミリーの「お見送り」があることを後になって知り、大いに地団駄を踏んだ。何というホスピタリティであろうか。次回、名古屋のホームゲームに行く時は、ぜひとも見届けておくことにしたい。

オリジナル10のマスコット誕生秘話

あらためて、ファミリーの長たるグランパスくんのデザインについて考えてみる。オリジナル10のマスコット10体が発表されたとき、最も異彩を放っていたのが誰あろうグランパスくんであった。水棲哺乳類であるシャチがモティーフであることもさることながら、裸族であること(つまりユニフォームを着ていない)、そして白黒のモノトーンであることが、実にユニークというか型破りであった。
周知のとおり、Jリーグのイメージ戦略の中で「色(カラー)」は極めて重要な要素であった。JSL(日本サッカーリーグ)時代にチームカラーがブルーだった古河電工が、ジェフユナイテッド市原(当時)となってから黄・緑・赤となったのも、「青が多すぎるからチームカラーを変えなさい」というJリーグからの勧告によるものであった。十人十色ならぬ「10クラブ10色」。当然、そのコンセプトはマスコットにも反映されており、彼らは一様にチームカラーを身にまとっている。唯一、グランパスくんを除いては。
オリジナル10のエンブレムやロゴ、そしてマスコットのデザインを手がけたのは、ソニークリエイティブプロダクツ(SCP)だが、実はマスコットに関しては10体のうち6体しか手がけておらず、残り4体は各クラブにデザインを委ねられた。ただし先日、当時を知る人物に取材したところ、グランパスくんに関しては「SCPもデザインに多少関与していた」という証言を得ることができた。この時、グランパスくんに無理やりユニフォームを着せようとしなかった判断が働いたのは、極めて賢明であったと言えよう。

シンプル・イズ・ザ・ベスト

グランパスくんは、カラーリングも造形も実にシンプルである。それは商品化する上でまさに「シンプル・イズ・ザ・ベスト」。まず、色数が少ないことでコストが抑えられる。そして、あのつぶらな瞳さえ描けば、Tシャツでもマグカップでもサンダルでも(そしておそらくレクサスでも!)いくらでも応用が効く。グランパスくんの何が優れているかといえば、可愛らしさ以上に、そのシンプルさゆえの「使い勝手の良さ」にある。

グランパスくんは「ロングセラー」

この3年間のマスコット総選挙の結果を見ると、グランパスくんの順位は15年が40チーム中10位、14年が37チーム中12位、13年が37チーム中8位となっている。上位5位にも食い込めていないことに、忸怩たる思いをしているグラサポもいるかもしれない。が、私はグランパスくんのデザインは「ロングセラー」と認識しているので、それほど気にする必要はないと思う。シンプルであるがゆえに、飽きがこないし、商品展開もしやすい。グランパスくんはまさに、マスコットのお手本のような存在であり、今後マスコット制作を考えているクラブはぜひとも参考にしてほしいところだ。

著者紹介

宇都宮 徹壱(うつのみや てついち) 写真家/ノンフィクションライター

1966年3月1日 福岡生まれ。小学校5年からフットボールに興じるも、大学時代にレギュラーポジションを得るまで、ベンチ暮らしが続く。
92年、東京藝術大学大学院美術研究科修了。その後、映像制作会社に勤務。
94年から「ダイヤモンドサッカー」(テレビ東京)、「BSワールドサッカー」(NHK)などの番組制作を担当。
97年、何の見通しもないままに「写真家宣言」を敢行。運命に導かれるような格好で、一路バルカン半島に向かう。
98年、旧ユーゴスラヴィア諸国の現状とフットボールとの関わりを描いた『幻のサッカー王国/スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア』(勁草書房)を発表。以後、フットボールの視点から、民族問題、宗教問題を切り取ることをテーマとして、活動を開始する。同年フランスで開催されたワールドカップでは、「サポーターの視座」から取材。
翌99年に『サポーター新世紀 ナショナリズムと帰属意識』(勁草書房)を発表する。
2002年には、旧社会主義国の名門クラブ「ディナモ」の現状を取材した『ディナモ・フットボール 国家権力とロシア・東欧のサッカー』を発表。同年に日本と韓国で開催されたワールドカップでは、スポーツ・ポータルサイト『スポーツ・ナビ』の特派員として毎日レポートを送り続け、一気にファンを増やすことに成功する。
現在はインターネット・メディアを主戦場としながら、カメラをぶら下げて国内外の辺境を歩き回り、フットボールと酒をこよなく愛する生活を続けている。
典型的なうお座。O型。尊敬するフットボーラーは、ドラガン・ストイコヴィッチとレフ・ヤシン。尊敬する写真家は、ダイアン・アーバス、ロバート・メイプルソープ、荒木経惟、藤原新也。

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