ルヴァンカップ2連敗です。皆様、ご機嫌いかがでしょうか。
……え?良いはずがない?
そうですね、どんなメンバーを並べたのであれ、負けた後の気分はピーカンではいられない、というお気持ちはよく分かります。ただ、プロの興業ですので全部勝つなんてわけにもいきませんし、今年の超過密日程でこれだけミッドウィークの試合が多い中、勝敗だけにフォーカスしていたら身体がもたないのも事実です。
ではどんなところにフォーカスをすると精神衛生が向上するかといいますと、今回のルヴァンカップ広島戦については「風間サッカーに必要な能力」が、選手交代も含めた起用によって目に見えて分かったこと、なのではないかと個人的には感じております。
誰の目にも明らかな「遅さ」
昨日の試合を見ていて「遅い」と感じた方は多かったのではないでしょうか。僕もその一人です。そう感じた方、すっかり風間革命に脳を侵されております。もう治療は不可能です。
……というのは冗談ですが、今年のリーグの方のグランパスの試合と比較すれば一目瞭然とも言える遅さであったことは、両方を見た方には同意いただけるのではないかと思います。そして昨年のJ2でのグランパスの序盤の戦いぶりを覚えておいでの方、自分の記憶と重ね合わせてみてください。録画が残っているよという方がいましたら引っ張り出して見てみましょう。ボールと人の動き、質などをひっくるめ、昨日の試合は昨年序盤のグランパスとよく似ていることに気づかれるのではないかと思います。
このような状態になってしまった原因は、もちろん風間サッカーの代名詞である「止める・蹴る」に代表される技術の不足もあります。この日の試合では、短い距離のパス交換でもパス・トラップともに浮かせてしまうシーンが数多く見られました。これだけで「遅く」なってしまいます。しかしこれが全てでしょうか?
見る能力とスピード
ではルヴァンのメンバーと、主力を分けているものは何なのか。それはむしろ「見る」能力であるように見えました。
こんな例で取り上げるのは申し訳ないのですが、ワシントンについて考えてみましょう。彼は昨年序盤よりもはるかにボールの扱いが上手くなっています。しかし昨日の試合ではボールをなかなかいい形で前に送り込めず、困っているシーンが数多く見られました。もちろんパスコースに良いタイミングで顔を出せないレシーバー側の問題でもあるのですが、レシーバーのマークが空いていても出しあぐねるシーンもありました。これはパスコースを見つけ出すことができないワシントンの責任に帰するところも大きいように思います。これが小林であればおそらく空いたタイミングでパスを出す、もしくは別の選手とのパス交換で穴を探しなおすというプレーが出来たはずです。そして、見ている僕たちも昨季後半から小林が当たり前のようにやっているそのリズムに慣れている、つまり目が速くなっていることが、ルヴァンでのグランパスのプレーを遅いと感じる要因ではないでしょうか。
結果からの推測にはなってしまいますが、ワシントンは守備側の選手を「見る」ことはできていたけど味方の作るパスコースが認識できなかった、ということではないかと思っています。もちろんパスを受ける側のコースを作る能力もあるとは思いますが、それが原因であれば代わりに投入された小林や秋山がもっと困るはずです。そう考えると、やはりワシントンに限らずサブ組は主力より少しずつ劣る「見る能力」こそが、この試合でのチームの攻撃をスローダウンしていた要因だったように思います。
―今日の練習ではその点に重点を置きましたか?
目線だね。いろいろな目線を持たせないと。選手たちがボールを持つことがうまくなると、自分たちの中でいろんなものを落としてしまうこともあるのでね。そういったところの判断、要するに何が見えているかでスピードは変わってくるので、そこを徹底して。これはずっと続けていかなくてはいけないことだけど。それをやっていく一環だったと思います。(明治安田生命J1リーグ第4節 川崎F戦 3日前監督会見より引用)
週末の試合の試合前会見で風間監督が言っていた「見えているものが違う」というのはもちろん川崎と名古屋の違いということではあるのですが、同時に主力組とサブ組の違いにもそのまま言えることなのだろうと思っています。
見る、認知するということ
この見る能力、認知する能力という考え方はスポーツの世界では普遍的なもので、30年前にアメリカで出版された本にも既に書かれています。日本語訳もされているその本「バスケットボールのメンタルトレーニング」が未だに大きい本屋には置いてあるロングセラーになっていることを考えると、おそらくこの考え方はさほど古びてもいないのでしょう。ここで書かれている「心の映像」の項目が今回の話と非常に関連性があると思いますので、要旨を抜粋します。
- 良いプレーができる時、その選手は現在にのみ集中し、視覚から入ってくる情報の多くに気づくことができ、その結果時間がゆっくり進むような感覚を味わう
- その例として、チームメイトがパスを受けるためにノーマークになる25コマの映像があると仮定して、実力を発揮できない選手と出来る選手がそれをどのように見るかの差が描かれる
- 実力を発揮できない選手にとっての見え方は、25コマのうち15コマくらいが周りの声や、ディフェンスの圧力や、自分のミスで認識できない状況となり、パスを出し損ねる=10コマくらいしか情報を引き出せず、結果としてあっというまに時間が流れるように感じる
- 実力が発揮できる選手はそれらの障壁に負けずに集中し、パスを出せるタイミングを逃さない=全25コマすべてから情報を引き出せるので時間がゆっくり流れるように感じる
- 自分の内側で集中を阻害する障壁は心の声、不安、自己批判、怒り、疲労、苦痛。もちろん外的要因も存在する。
興味がある方はぜひお読みいただきたいのですが、このようなことが書かれています。いかがでしょう、特に実力が発揮できない選手の振る舞いは、まさに今の「見る能力」に不安があるルヴァン組のプレーの印象とよく似ていると思いませんか?風間監督が良く言う「目の速さ」を構成する要素はこういうことなのではないか、と僕は思っています。
編注:サッカーに関しては、フットボリスタでも以下のような記事を紹介しています。是非よろしければご一読ください。
止める蹴るは道具でしかない
風間監督が止める蹴るにフォーカスしているのは、恐らく技術を高めていくことで物理的に「見る」時間を増やすのと同時に、ボールを扱うことに自信をつけることで集中を阻害する障壁をとりはらい、「見る能力」高めていきたいからなのではないでしょうか。サッカーにおいてもっとも楽しい瞬間はボールを扱う瞬間ですが、それはひっくり返せば責任を大きく負う瞬間でもあり、そこに自信がない選手にとっては不安となってのしかかります。そして、その不安が周りを「見る」ことを阻害するわけで、そういった不安を取り除くために「自信をもってボールを扱える」という武器を選手に持たせたい、ということなのでしょう。
そう考えると、途中から投入された小林や秋山があれだけのプレーが出来るのも納得がいきます。彼らは上手くボールを扱えることで周りが見られるようになり、その自信をプレーの推進力に変えているのです。
目を揃える前に、見られるものを増やす
風間監督は昨シーズン終盤以降、仕上がってきたチームに対して「目が揃ってきた」という表現を使っていました。その表現で行けば、おそらくルヴァンのチームは目を揃える前の段階、ということが言えると思います。むしろ、その段階ではない選手同士の中から、それでも「見られる」選手を探している、という風に見えました。
誰が本当の意味で風間監督のお眼鏡に適ったかは現時点ではわかりませんが、ミッドウィークの試合が7週連続で続く過密日程だけに、ターンオーバーで起用される選手は出てくるはず。その時には、その選手がどこまで「見えて」いるかを意識しながら見てみると、また違った面白さが出てくるように思います。そして、今ルヴァンカップ出場に回っているメンバーも練習中は目をギラつかせてプレーしていると聞いています。公式戦でのトライ&エラーからのフィードバックで変わる選手が出てくるかどうかにも注目して、僕たちにとっても試合の結果以上に実りのあるカップ戦にしたいところですね。