怪我が長引いていることで危ぶまれているジョー選手のインタビューが公開されました。さっそく、GOHくんが翻訳してくれたので、フィルターの掛かっていない生の声を聞いてみて下さい。(引用元:https://odia.ig.com.br/esporte/2020/02/5868262-metas–treinos-no-flamengo-e-carinho-pelo-corinthians–jo-embarca-domingo-para-se-apresentar-ao-nagoya-grampus.html )
今年の目標、フラメンゴでのトレーニング、コリンチャンスへの愛情
ジョーは日曜日に名古屋グランパスに戻るために帰国します。
32歳のフォワード・ジョーは、新聞 “O Dia” による独占インタビューに応じました。インタビューでは、リオのRubro-Negro(フラメンゴの愛称)の施設を利用したリハビリ期間をどう過ごしたのか、コリンチャンスへの愛情、そして今年の目標について語っています。
FWジョーは日本での選手生活を過ごして3年目になります。彼は2017年にブラジルリーグ優勝を成し遂げたコリンチャンスに大きな愛情を持っています。現在は日本の名古屋グランパスに所属をしていて、左膝の治療を行うためのリハビリ期間をフラメンゴで過ごしています。
日曜日にジョーは名古屋グランパスに戻るために日本に帰国し、日本での最後のシーズンをスタートするということを新聞 “O Dia” の独占インタビューで明らかにしました。
「私たちはすでに契約更新に向けた話し合いの場を持ちましたが、交渉がうまくまとまらなかったため、契約を全うすることを選択し(今年12月に満了)ました。その後今後のキャリアをどうするかを決断し、あらゆる可能性を検討し、キャリアを考えていこうと思ってます。」
名古屋グランパスに移籍してから、チームタイトルを獲得することはありませんでした。そこでジョーは2020年の目標を決意しました。2018年に彼は37試合で24ゴールを記録しました。しかし2019年は同じようにはいきませんでした。結果として37試合で8ゴールしか決めることができませんした。ゴールを増やすことに加え、ジョーは今年のタイトル獲得を望んでいます。
「私の最大の目標は常にタイトルの獲得です。私はすでに2年間在籍していますが、タイトルのために戦うことができませんでした。それが私の目標です。タイトルとともに名古屋を去りたいと思っています。それは難しいことですが、不可能なことではありません。それが2020年の私の目標です。」
フォワード、ジョーのより詳しいインタビュー内容については以下をご覧ください
今回の移籍期間におけるウィンドウであなたはオファーを受けましたか?
「いいえ。今回のウィンドウでは正式なオファーはなく、数回獲得に向けた調査があっただけです。しかし、私に対しての直接のオファーはありませんでした。私が名古屋との契約を全うする意思を表明していたからかもしれません。今年が最後の年であり、それからどうするべきか決めて行こうと思います。」
このリハビリ期間フラメンゴの施設を使用しましたが、どうでしたか?
「神様のおかげで、フラメンゴは私がリハビリを行うために施設を利用させてくれました。多くの人がなぜ私が最後にブラジルでプレーしたコリンチャンスではなく、フラメンゴを選んだのかという質問をしてきました。それは私の家族によるものです。私の家族はリオにいますし、私の妻はリオ出身であり、子供たちもリオにいるので、私は彼らのそばにいることを選びました。私はフラメンゴのメディカルに友人がいます。彼らと話し、私のために機会を設けてくれました。そして、私は常に強化が要求される軟骨の問題を抱えていたため、ほぼ20日間この筋肉の強化を行っていました。フラメンゴは私に全てを与えてくれました。感謝してもしきれません。私は日曜日に戻ります。私は今回の治療に協力してくれたみんなに感謝するとともに、幸せを感じています。すべてがうまくいきました。」
リオのチーム(フラメンゴ)のトレーニング施設についてはどのように評価しますか?
「フラメンゴの施設は非常に優れていて、コリンチャンスやアトレティコMGなど私が過去にプレーしたビッグクラブと同じレベルのものを備えています。専門家たちや器具は素晴らしいです。実際にヨーロッパレベルの環境です。」
現在フラメンゴでプレーしている選手の中にはあなたの友人がいます。彼らとは日常的に会うことはありましたか?
「私はいつも彼らの邪魔にならないように、別の時間にリハビリを行いました。しかし、時に時間が重なることもありました。私は現在のチームの何人かとかつて一緒にプレーしました。私が深い友情を持ち、兄弟同然とも思っているのはラフィーニャです。私たちはひさしぶりに会話し、素晴らしい時を過ごしました。フィリペ・ルイス、ディエゴ・アルベス、エバートン・リベイロたちも、私がともにプレーした経験のある選手であり、今でも友人です。」
誰かがあなたがフラメンゴに移籍するための圧力をかけてきましたか?
「(笑)。こういった冗談は時々真実となることもあるよ(笑)。私たちは専門家たちを大いに尊敬しています。実際は冗談でもそういった調査もありませんでした。彼らは私をとてもよく扱ってくれました。」
フラメンゴの施設を利用している写真を公開しなかったのはなぜですか?
「それはフラメンゴとグランパスとの取り決めによるものです。それが理由です。」
フラメンゴの施設は日本のクラブのものと似ていますか?
「私のクラブ(名古屋グランパス)に関して、施設は非常に優れています。日本に欠けているものは、能力に長けた専門家たちです。優れたスタッフはいますが、ブラジルの教育の方がはるか先をいっています。この点が大きく異なります。しかし、クラブは非常によく組織されています。より洗練された専門家たちが唯一本当に必要なものでしょう。」
日本のサッカーに適応する上で最も難しかったのはなんですか?
「最も難しかった問題はサッカーのレベルに関することでした。私は非常に高いレベルにあるブラジルのサッカーから来て、移籍先では少し周囲のレベルが下がりました。それはアジアのサッカーなので仕方ありません。しかし、それが最も苦労した原因でした。
その他は特に問題なく、普通でした。食べ物と気候の面ではそうでしたが、サッカーのレベル問題では、最終的に困難に直面しました。それ以外ではクラブには2人のブラジル人通訳がいて、2人とも長年日本に住んでいるので、コミュニケーションという点で私たちを助けてくれました。とてもいい国、都市です。」
最後に… 名古屋との契約が満了したとき、あなたはブラジルのクラブを優先しますか?
「それは冗談です(笑)。私は「コリンチャンスが最優先だ」といつも言ってきましたが、結局ブラジルを去りました。私はサッカーではなんでも起こり得ると思っています。
私はプロです。
神の意思であれば、私は戻りますが、私は興味のあるクラブに耳を傾けるつもりです。」