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ゴール裏の住み分け問題について #グランパス #grampus #ゴール裏 #応援

mondのほうに頂いている質問について、深掘りしたいと思ったので記事にします

ゴール裏に求めるもの

皆さんがゴール裏に求めるものはなんでしょうか?

上記質問への回答へのレスや引用を見ていても、実に色々あることがわかります

やはり、ゴール裏は応援する席という考え方は、ほとんどの人で共有できているようです

しかし「具体的な応援とは?」となるとかなりバラバラなことがわかりました。

1.応援したいの分解
1.応援したいの分解

チームを応援したいという気持ちはあっても、それぞれスタイルもあれば、できることも違います

ここではレスについている意見から3つのパターンを抽出しましたが、実際には「応援したい!」という気持ちはあっても、もっといろいろな事情で応援の仕方が違う場合もあるでしょう。

難しいのは、どのようなスタイルであっても、「チームを応援したい」という共通の目的を持っていることです。でもやりかたが違うので、それぞれの相手に対してもにょっているケースがありそうです。

やっかいなのは、同じ目的があるのに、「価値観」「背景」が異なるから取っている手段に違いが出ていることです。そしてそれを受け容れられない層というのがどうやら確実にいるようです。

昔の流行歌のフレーズに「育ってきた環境が違うから 好き嫌いはイナメナイ 夏がだめだったり セロリが好きだったりするのね」なんていうのがありましたが、考え方は本当に人それぞれです。

ゴール裏と多様性

多様性、という言葉があります

多様性(ダイバーシティ)とは、「ある集団の中に異なる特徴•特性を持つ人がともに存在する」という性質を指します。

ちがう価値観・背景を持った人が混在するゴール裏というのは、ある意味多様性のモデルケースになる場所なのかもしれません。

価値観が違う人同士であっても、同じチームを応援する同士であれば、1つのチームを応援するという軸は一緒です。ただ応援の仕方は、それぞれの価値観でまったく違うわけです。

異なる価値観がぶつかり合うとき、2つの軸があると思います。

1つが「異なる価値観を受け容れるのかどうか」。もう1つが「価値観をすり合わせられるかどうか」です。

2.価値観のすり合わせ/受け容れられるのマトリックス
2.価値観のすり合わせ/受け容れられるのマトリックス

違う価値観の人がやって来たとき、私たちの対応は、上のマトリックスの4つの行動に分類できるといわれています。それが「排斥」「同化」「住み分け」「共生」の4つです

  • 違う価値観を受け容れないxすり合わせない=「排斥」

今回の質問箱に寄せられたコメントのなかには、「ゴール裏は応援するところ、試合を見たいならバックかメインに行け」という主旨のものがいくつかありました

このように相手の価値観を受け容れないし、ゴール裏じゃないところに行って欲しいという意見、これが「排斥」の区分です

あらかじめ書いておきますが、「排斥」という言葉はちょっと強い言葉なので誤解のないように補足をしておきます

ゴール裏は応援するところである、というのは席種の説明に、フラッグで視界が遮られることがある、というのはチケットの販売時に注意書きがあることなので、大旗・ゲーフラは「チケット販売時に認められているもの」ということになります

3.観戦時注意書き
3.観戦時注意書き

ですので、フラッグが嫌なら別の席に、という主張は根拠がないものではありません

しかし、現状のやり方に合わないものを受け容れないままで本当に良いのでしょうか。チームを鼓舞する・応援するという目的を持つなら、その応援する人数を増やしていくことが必要なんじゃないでしょうか?

  • 違う価値観を受け容れないx時間をかけてすり合わせる=「同化」

違う価値観を受け容れず、自分たちのやり方は変えない。でも時間をかけて、自分たちのやり方(応援スタイル)のほうに「すり合わせて貰う」、これが同化です

質問へのコメントには意外にもこのタイプの考え方はありませんでした。ただ、最初はそれほど熱心に応援していたわけではないけど、ながらく応援に通ううちに「私もゲーフラ作ってみようかな」ってなった人を何人か知っていたりします

ある意味平和な収束の仕方ですが、相手に譲歩できる人しか取り込むことができませんし、なにより長い間の積み重ねが必要です

  • 違う価値観を受け容れるxすり合わせることを諦める=「住み分け」

違う価値観があることは理解する。ただ、何を大事に思っているのかはバラバラなんだから、すり合わせるのは難しいよね、だから、チームを応援するっていう同じ目的はあるけど、「それぞれの場所から応援しよう」というのがこのパターンです

質問へのコメントで、一番多かったのはこのパターンです

「ゴール裏2Fは、応援の雰囲気を味わいつつ、跳ねたり大旗を振ったりってことも少ないからいいですよ!」

「私もあんまり跳ねたりできないから、ゴール裏のはじっこのほうにいます」

こんな声が寄せられました

応援したい!でも試合も見たい!というニーズは理解できます。しかし、今チームも選手も喜ぶ、アツい応援というのは認められています。それをすり合わせることはできるんでしょうか?

  • 違う価値観を受け容れるxすり合わせようと双方で歩み寄る=「共生」

いろんな応援スタイルがあるのはわかる。自分たちが大事にしているものもわかって欲しいし、だからそちらの大事にしていることも教えて欲しい。すぐには全部できないかもしれないけど、なんとか理解しあおう

このパターンが「共生」です

まったく異なる価値観をすり合わせるということは、お互いを尊重するために両方が「少しずつ我慢する」ことです

正直、難しいです。人は多くの場合「今認められていないものを我慢しろ」と言われるよりも、「今認められているものを我慢しろ」と言われるほうがキツいものです

これを実現するにはみんなが「お互いを尊重しないとダメだ」と共通認識を持たないといけないということだからです

どうやったらそういう共通認識を持てるのか?

正直ここについて答えは持てませんし、考え方ややり方についてみんなに影響を与えるくらいのインフルエンサーというわけでもありません

コメントのなかには

  • 「旗を振るタイミングなどについて制限を設けたらどうか?」
  • 「旗を振るエリアを限定してはどうか?」

のように、仕組みの面ですり合わせる提案などもありました

ただ、制度改革を行うのにも、それなりに「やり方を見直そう」という声が大きくなる必要はあると思います

なぜ共生が必要なのか

自分は「ゴール裏は応援する・チームを鼓舞するための場所」という認識を持っています。

そのためには、ゴール裏には「熱量が必要」だと思っています。

熱量を生むためには、やはり人が必要だと思います。どんな試合でもゴール裏が満杯になって、人があふれかえるようにならなければ、と

そのためには応援しようとする人を「メイン(バック)に行け」と言う余裕はないのではないでしょうか

それが自分が単純な「住み分け」で終わることがもったいないと思う理由です

上記のような制度改革に至る前に、それぞれがほんの少しだけ、周囲への気遣いをできないでしょうか?

お互いに強い言葉をぶつけ合うのではなく、「なるほど、そういうことを気にすることもあるんだな」と相手を理解することができるといいなと思います

そういうスモールスタートから、少しずつゴール裏を増やしていくアプローチができないでしょうか

最初にあげた流行歌のBメロ、

「がんばってみるよ やれるだけ がんばってみてよ 少しだけ」

そんな気持ちでいます。

About The Author

グラぽ編集長
大手コンピューターメーカーの人事部で人財育成に携わり、スピンアウト後は動態解析などの測定技術系やWebサイト構築などを主として担当する。またかつての縁で通信会社やWebメディアなどで講師として登壇することもあり。
名古屋グランパスとはJリーグ開幕前のナビスコカップからの縁。サッカーは地元市民リーグ、フットサルは地元チームで25年ほどプレーをしている。

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