全くの私事なのだけど。
いや、仕事のことなのだから「公の事」なのか。
7月から東京で働いている。
ちょっとした躓きから立ち直って1年。
自分も周りも驚いた異動で、これまで縁のなかった土地に来た僕は、これまで程には趣味の世界に没頭できずにいた。
当たり前の話だ。
もう15年も離れていた現場の仕事。
しかも以前は「あまり上手くいかなかった」という苦手意識の拭えない仕事。
行った先の組織が若く、そこに請われての異動だったこと、上司が自分の経験を尊重し、活かしてくれていることは救いだったが、自ら望んでとはいえ、東京に居を構えつつ週末は極力愛知に戻るという生活。
これまで通りの趣味生活が送れると考える方がどうかしている。
このような状況だったから、11月2日に名古屋グランパスが国立競技場でルヴァンカップ決勝を闘うタイミングで東京で働いている、という千載一遇のチャンスも活かす決断は出来ず、東京に乗り込むサポーターの皆様とすれ違うように愛知へ帰ってきた。
折り悪く前の週に15年連れ添った自宅リビングのプラズマTVが壊れて処分場送りとなり、東京で買ったTVを愛知に送ることになった。
その受け取りが11月2日、決勝当日の昼過ぎ。
大きな画面でグランパスを応援することもかなわず、BDデッキにPC用モニターを直繋ぎして小さな即席TVにするのが精一杯。
ソファの前に置いた即席の小さな小さな『カテゴリーT』((c)しばのうえ)が今回の僕のスタジアムだった。
『カテゴリーT』
そんな画面の小ささが気にならないくらい、そこからの3時間は濃密だった。
それは名古屋から数多く駆け付けた名古屋サポーターと、初タイトルを渇望する新潟サポーターが現地で作った雰囲気が画面と音声越しに伝わってきたからだし、その声に背中を押された名古屋・新潟両クラブの選手たちが素晴らしい試合を見せてくれたからに他ならない。
そこには僕の「それどころじゃない日々」を押し流す熱量を持った「それどころじゃない時間」が確かに存在した。
新潟の保持型サッカーを十分すぎるくらいにリスペクトしたうえで、前回リーグで対戦し成功した型を改めて用意し、先制パンチを食らわせた名古屋。
立て続けにパンチを食らったあともしぶとく反撃を続け、ついにはラストプレーで追いついた新潟。
手のひらからこぼれ落ちたタイトルに普通なら意気消沈するところ、それでも延長で勝ち越してみせた名古屋。
延長で勝ち越されてなお諦めずに食らいつき、再び追いついてみせた新潟。
お互いに死力を尽くした勝負の行方はPK戦に委ねられ、ほんの僅か、逸る気持ちを抑え損ねた若者のひと蹴りが星の行方を名古屋に決定づけた。
この大会における名古屋のテーマは「守護神ミッチ・ランゲラックに別れの星を」だった。
7季に渡り名古屋の守護神であり続けた豪州から来た神に、もうひとつ星のお土産を持たせて豪州に帰すことは、彼が帰還を明言した時点で至上命題だったと言っていい。
最後に勝負を分けたのは、彼がゴール前に陣取り、相手キッカーにかけ続けた圧力の賜物なのかもしれない。
Prodigal Sons
だが、それでも。
今回のタイトルをともに獲るに至って、2人の「放蕩息子」の事を想わずにはいられない。
降格とともにクラブを去り、FC東京に新天地を求めた永井謙佑。
貴重な戦力として扱われつつもより大きな経験を求めて鹿島へ飛び出した和泉竜司。
大卒即戦力アタッカーで、実際に行ったかどうかはともかくとして海外進出への野心も隠さずにいた、という共通点を持つ彼ら。
移籍した当時は少なからず彼らのことを恨んだものだけれど、今となってみれば名古屋というクラブに彼らの野心を、忠誠心を受け止めるだけの器が備わっていなかったのではないか、とも思える。
その後、少しずつ「器をつくる」ことに舵を切ったクラブに、中堅からベテランになりつつあった彼らが還ってきたことには、喜びがあったとともに驚きを隠せなかったのもまた事実だった。
ただ、それ以上に目を見張ったのは、彼らがクラブにその経験を還元できるリーダーに成長して還ってきたことだ。
これは嬉しい誤算だったし、今度こそこのクラブが彼らの野心と忠誠心を受け止められるのではないか、そういうクラブに成長し続けてくれるのではないかという期待も持たせてくれた。
そんな彼らも、移籍先でタイトルに恵まれていたとは言い難い。
だからこそ、今回一緒に星を掴みたかったし、それが成し遂げられたことはこの上ない喜びだ。
何より、椎橋→稲垣→和泉と渡って最後に永井が決めた美しい崩しによる2点目は、天皇杯におけるピクシーの舞うような得点や、リーグ優勝を決定づけた玉田のヘディングシュートと同じくらい脳裏に焼き付いて離れそうにない。
(今季屈指の美しい崩し)
「それどころじゃない日々」を「それどころじゃない時間」に
僕にとってはもうしばらく続きそうな、「それどころじゃない日々」。
その日々の中で。
規定時間最後の最後に犯したミスを背負いこむ中山を生き返らせた稲垣、
常にゴール前に立ちはだかって味方を鼓舞し続けたミッチ、
そして永井と和泉。
彼らのような「リーダー」の熱量を持ち続けることができたなら。
その日々が落ち着いた時に、「それどころじゃない時間」をたくさん過ごせるに違いない。
その時には、名古屋というクラブがそういう時間をさらに多く生み出してくれることを。
僕は信じて止まない。