
柳田国男の言う「ハレとケ」の概念をご存じでしょうか。
スポーツスタジアムは「現代の神社・祭りの場(ハレ)」であり、観戦体験とは「日常(ケ)で枯れたエネルギー(ケガレ)を回復させる儀式」と考えることができます。
スポーツビジネスのUXとは、単に試合を見せることではなく、「最高のハレ(熱狂と解放)」を提供し、ファンを「晴れ晴れ」とさせて日常へ送り出す一連の体験設計です。それを踏まえてお読みください。
「下ブレの極み」だった2025シーズン
2025年は名古屋グランパスにとって厳しいシーズンでした。
怪我や失点の連鎖で自信を失い、ギリギリの残留(16位)。
選手・スタッフの努力で最低限of最低限の結果を達成した形です。
「下ブレの極みでも降格回避」というのが今季の結果をあらわすフレーズだと自分は思います。
それでも名古屋(というかトヨスタ)は「ホーム」だった
煮え切らないシーズンでしたが、ホーム成績は8勝5分6敗、27得点25失点。
16位という順位の見た目ほど不格好ではありません。
むしろアウェイでどれだけ弱かったんだという話ではあります。
アウェイであれほどにサポートしてくれているコアサポにはごめんなさいが必要ですね。
閑話休題。
この「言うほどは悪くないホーム成績」の背景、そして原動力ともなった数字があります。
過去最多の観客動員数、61万3003人。
平均観客数にすると3万2263人で、これは浦和に迫り、FC東京やG大阪を上回る数字となりました。
これはひとえにクラブ、運営側の努力のたまものといえるでしょう。
この動員数増の分析とクラブの努力については、11月に編集長が2本のコラムで解説をしていました。
でも観客数は過去最高。名古屋グランパスの成功に学ぶ、ファンベース経営の本質【一般論編】 #グランパス #grampus
でも観客数は過去最高。名古屋グランパスの成功に学ぶ、ファンベース経営の本質【グランパス編】 #グランパス #grampus
さらに年末には、この2本のコラムにて、グランパスの今後のクラブ運営の動きを理解するために大変参考になる内容が解説されました。
2026年向き合いたい言葉:LTV、ファン・エンゲージメントと共創について #グランパス #grampus GR718
名古屋グランパス「GRAMPUS SOCIO PROJECT」に見る「お客さん」から「当事者」への転換 #グランパス #grampus GR719
…これを読んで(あれ?自分のコラム要る?)と思ったのは内緒の話なのですが、もう書いてるので書ききります。
このあたりのコラムへの反応、それから過去の様々な方のご意見をお伺いする限り、ちょくちょく言われる印象なのが、
「招待券で水増しされた観客動員数には意味がない(大意)」
だったりします。
…でもこれ、本当にそうなんですかね?
理想のスタジアムへ: 現実的なルート
まず大前提として、
「4万人の全観客が、名古屋グランパスを声を枯らして応援する」
状態が究極であり理想であることに異論のある方はいないでしょう。
アウェイサポーターの存在はとりあえずおいておきますが。
ただ、今現在において、そんな熱量のあるサポーターで4万の席が埋まることは、タイトルが決まる試合でもない限りは不可能と思われます。
そうでない試合で理想に近づくためには、熱心なファン=サポーターをいかに増やしていくかになります。
ただ、「熱心」になってもらうためには時間が必要ですから、そういう方だけですぐに観客席が埋まるわけではありません。
そして、ほとんどすべての興行において、埋まっている観客席が作る場の雰囲気は埋まっていない観客席が作る場の雰囲気に勝ります。
コアな方からの「ライト層が作る雰囲気が軽い」という愚痴はどのスポーツ、興行への感想を見ても目にしますが、客観的に見たら、コア層の比率が低くとも観客席が埋まっている興行のほうがはるかに雰囲気がよくなるものなんですね。
ここのところの名古屋グランパスが招待券や各種営業を駆使して観客席を埋めようと努力しているのは、現実的にとれるルートでよい雰囲気を作っていこうという意欲の現れ、ととることができると思います。
顧客生涯価値 (LTV)向上への投資としての招待券
先ほど紹介した編集長のコラムでLTV=Life Time Value=顧客生涯価値という言葉が出てきました。
>一言でいうと、「ファン一人が、そのチームを応援し続ける一生の間に、合計でどれくらいのお金を使ってくれるか」を表す指標です。
このLTV、業種によって一人のお客様が使えるお金の量は限られます。
例えばグランパスに縁深いトヨタのいる「自動車」という業界で言えば、多くのお客様が「5年~10年に1回、200万~800万程度の買い物をする+オプション」といった具合で、一人がどれだけ多くお金を使ったところで限界があったりするわけです。
クラブを運営する側からは収益という意味ではお金の「総量」が問題になるので、顧客の数は必ずしも多くなければいけないわけではありません。
ただ、上に書いたように自分たちの商品に出してもらえるお金の量に限界があればどうでしょう?
お客様を増やすしかないですよね。
招待券はこのLTVという概念で語られている「長くお付き合いいただけるお客様」を増やすために、お客様のイニシャルコストを下げて間口を広げていくためのものなんですね。
観客はLife Time=時間を払っている
一つ忘れてはいけないのは、「見に来ているお客様は全員が時間というコストを支払っている」ということです。
調べたわけではありませんが、平均的な名古屋近郊在住の方がトヨスタに試合を観に行く場合、
- 往路移動時間:1時間
- 試合前:1時間
- 試合中:2時間
- 試合後:0.5時間
- 復路移動時間:1時間
くらいと見積もれば、まあ5時間~6時間くらいの時間を費やしていることになると思われます。
これは娯楽の多様化した現代においてけっして短いものではありません。
家に居ながらにして楽しむことができる娯楽が大きく増えたコロナ後であればなおさらでしょう。
どこかの別競技のホーム会場が「チケット完売でも配った招待券のお客様が来ないので空席が目立つ」なんて状態になっていたりすることからもわかる通り、
「招待券を配ったからといってお客様が来てくれるとは限らない」
のです。
2025年の観客動員は前述の通り60万人を超えました。
つまり、名古屋グランパスはおおむね
5~6時間×60万=延べ300万~360万時間
もの時間を、観客に費やしてもらったことになります。
時間に対する価値観も様々ですし、コアな方であればあるほどこの時間を当たり前ととらえているでしょうが、招待券でスタジアムに来場されている方々はそうはいきません。
ちなみに、マーケティングの世界ではナーチャリングという概念があります。
簡単に言うと「見込みのあるお客様をもっとよいお客様になってもらうように行う活動」=良いお客様に「育てていく」ということです。
招待券施策で来てくれたお客様が、今後グランパスのホームゲームに2度3度、そして末永く足を運んでもらうのにどうすればよいのか。
これを考え続け、実行し続けることが、既存ファンには批判されがちな招待券施策を意味のあるものにする道なんですね。
この点、サッカーの勝敗にかかわらない部分において、運営側が大きな努力を続け、花開いた結果が2025年の観客動員数記録の更新といえるでしょう。
しかし、やはりメインコンテンツたるサッカーが低調では、コンテンツとして完成しないのがサッカー観戦というものでしょう。
グランパスが魅力的なサッカーをしてこそ、ライトなファンが2度3度と足を運んでくれるのみならず、コアなファンまで幸せな観戦体験となるのです。
サッカーの魅力はどこから?
さて、ではどんなサッカーが「魅力的」なんでしょう?
勝つサッカー?
点がたくさん取れるサッカー?
ユース出身や地元出身の選手がたくさん活躍してくれるサッカー?
イケメンな選手が躍動するサッカー?
考えつく要素は人それぞれ。
決まった回答はないでしょう。
でも、グランパスのことをあまり知らない方が、観た試合を通してグランパスにさらなる興味を持ち、「もう1回観に行ってみよう」と思わせるには、という問いなら?
それにはやっぱり、
うっすらとだけど地元と認知しているクラブの選手がカッコいいところを見せ、
少し「縁」を感じる選手がピッチで躍動し、
得点という盛り上がりどころを出来るだけ多く提供し、
ドキドキの展開を迎えたり迎えなかったりしながら勝利というカタルシスを魅せること。
ショーではない勝負事なので必ずしも勝利を見せられるわけではありません。
それでも、上に書いたような魅力を観客の眼前で少しでも多く繰り広げられるよう、積み上げを怠らず、変化を恐れない。
そういう「このクラブはここにあって、より良いものを魅せようとしてくれるんだ」という信頼が少しずつ浸透することで、ファンはクラブの勝敗、浮沈を自分ごととするサポーターとなり、ここぞというところで声を枯らしてくれる、そういう層が少しずつ増えていくのではないかと思います。
変化に対応できるクラブであれ
2026年は大きな変化の年です。
Jリーグはとうとう秋春制に舵を切り、変更に伴った特殊なハーフシーズンが開催されます。
地元名古屋では瑞穂陸上競技場が長い工事を終え、新しい聖地として帰ってきます。
外に目を向けてみれば、2025年に名城公園にIGアリーナが誕生。
日本のそこかしこに競技を観やすくエンタメ施設として極めて大きな影響力をもつ「夢のアリーナ」を前面に、Bリーグはレジャーの選択肢の一つとして、着実に足場を固めつつあります。
そして、干支が一回りする間、進化を拒みに拒み続けてチーム成績を上げ底のさらに底まで落ちた中日ドラゴンズ。
切り札と言われたOB指揮官の大失敗を経てようやく、ホームランテラスの設置など試合自体の「得点機会」という魅力とチーム強化への投資という本気を見せ始めたのが2025年でした。
これら地元の「エンターテイメントとしてのライバル」と、時に競い、時に手を組みながら名古屋を中心とした愛知・中京圏という土地柄でどれだけの存在感を示していけるか、クラブとしての底力が問われる1年半となりそうです。
三百万の時間、いや1年半なら五百万の時間が、多くのキラキラした瞬間をみんなにもたらすハレの時間であることを願いつつ、2025年のレビューとしてのこの原稿を締めようと思います。