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若いサポの方やサポになって数年以内の方向け企画。グランパスの歴史を簡単に振り返ってみる(前編)

人と組織に歴史あり。僕とあなたと、グランパスにも歴史あり。

先日、こんなこと↓を何となく呟いたところ、意外に多くの反応がありました。

J開幕からグランパスを応援しているアラフォー世代の者として当たり前のことを呟いただけでした。ところが、例えば10代の若いグランパスファミリーとか、大人であってもファミリーになって一桁年数の方には、知られてないクラブの歴史がけっこうあるんだなと、皆さんの反応でわかりました。一方、事実確認をせずに自分の記憶だけで呟いたところ、内容に間違いもありました。

そこで、中断期間の小ネタとして、グランパスの歴史を簡単に振り返った記事を書こうと思った次第です。歴史と言っても堅苦しくならないように、僕の独断と偏見でお届けします。まだファミリー歴浅めの方に「昔はこうだったんだなー」「こんなことがあったんだなー」とか思っていただければ幸いです。ベテラン組の皆さんは………昔を思い出して懐かしんでください(笑)。

Jリーグ開幕からピクシー時代の終わりまで

Jリーグ開幕ってもう26年も前(1993年)です。昔のこと過ぎるし、そもそも満25歳以下の方だと、開幕時にまだ産まれてない(書いてて自分で衝撃を受けた)し、30歳前後の方でも物心ついてない頃ですよね。正直、お若いファミリーの方にとって、こんな昔のことを詳しく知る必要は無いと思います。それでも、やっぱりグランパスの歴史的に外せない重要な事項や事件がありますから、抜粋してお届けしましょう。

1992年・J開幕前年『天皇杯でジャイアント・キリングられる』

Jリーグ開幕は1993年ですが、開幕前年の1992年には名古屋グランパスというチーム自体は発足していました。そして迎えた天皇杯、グランパスはアマチュアチームのフジタに無事敗北。今にして思えば、この下位カテゴリチーム相手の敗戦によって、グランパスの天皇杯でのやらかしちゃう体質が決定付けられたと思えてなりません。その後、グランパスは天皇杯で下位カテゴリチームに何度も何度も何度もジャイアント・キリングられる始末。直近では『2016年』『名古屋港サッカー場』『AC長野パルセイロ』と聞くと頭を抱えるファミリーも多いでしょう。グランパスの天皇杯やらかし歴は数多くあるので、興味のある人は検索してみてください!

Jリーグ開幕『ワールドカップ得点王リネカー加入、なお』

Embed from Getty Images
リネカーと言えば1986年メキシコワールドカップ得点王(マラドーナの神の手&5人抜きゴールが有名なあの大会。ちなみにリネカーは6得点、マラドーナは5得点)にして、当時のイングランド1部リーグ得点王3回、バルセロナのエースアタッカーだったこともある世界的名選手。2019年現在で例えれば、年齢や経歴的に、リオネル・メッシがグランパスに加入するようなレベルのビッグニュースでした。なお本人の心身のコンディションの悪さ(年齢的に身体は衰えていたし、骨折もしたし、ぶっちゃけやる気も無かったらしい)で活躍はできず。グランパス時代のリネカーしか知らないファミリーにとってはリネカー=ネームバリューの割に大したことないイメージと思われます。しかし、全盛期には何でもできるマジで優秀な万能型アタッカーだったと、本人の名誉のために念のため言っておきます( ̄▽ ̄;)

参考動画

1993年・Jリーグ開幕『お荷物三兄弟』

Jリーグがとうとう開幕! ヴェルディさん、鹿島さんやマリノスさんがJリーグを華麗に盛り上げる一方、グランパスとガンバさんと浦和さんがもうとにかく弱くて弱くて。本当に弱くて、あんまり弱くてリーグの最下位近辺をこの3チームで独占するもんだから、気付けば『Jリーグのお荷物』と呼ばれるように。グランパスとガンバと浦和はズッ友だョ………!

1994年夏~『妖精とレッドカード』

1994年7月にピクシー・ストイコヴィッチが加入。伝説のデビュー戦前半18分でイエロー2枚もらって退場とかインパクト抜群でした。なんかすごい退場しまくってたイメージで、1994年の出場記録をチェックしてみたら、14試合出場で退場1回。なおイエロー7枚で、退場しまくってはなかったけどやっぱり割とヤバかった。カード的な素行面は1995年も変わらず、第1節でいきなり退場、次の出場試合だった第5節でまた退場。うろ覚えですが当時の新聞で『イライラ・退場しさえしなければ素晴らしい選手』とか思いっきり書かれていたような。そんなピクシーのピッチ上での素行に奥様スネジャナさんがブチ切れてお説教。色々自重するようになった妖精はカード枚数激減。段々と真価を発揮し始めるようになりました。なおチームは相変わらずJリーグのお荷物でした。

1995-1996年『ヴェンゲルの功績と残像』

1995年、監督としてアーセン・ヴェンゲルが加入。直前までフランス1部のモナコを率いて毎年のように優勝争いをしていた大物監督でした。1995年の前半戦では戦術の浸透に手間取り下位に沈んでいたものの、夏以降、ヴェンゲルの指揮によって、お荷物だったはずのグランパスが猛烈な強さをいきなり発揮。その原動力は、前述のとおり、スネジャナ夫人から思いっきり怒られてカード貰わないように自重するようになったピクシー。妖精の舞う瑞穂(と長良川)に魅せられたファミリーも多いでしょう。1995年、お荷物だったはずのグランパスはリーグで2位フィニッシュ。その強さのまま1996年元旦にチーム初のタイトル『天皇杯』を獲得。鮮烈な成績によって、グランパスファミリーだけでなく、国内サッカーファンに広く『優秀な監督は大事』との認識が広まったように思います。なお、ヴェンゲルのイメージが良くも悪くも強烈すぎて、以後、グランパスは長い間ヴェンゲル時代の残像を追うこととなりました。ファミリーもまた、グランパスがどういうサッカーをすべきかと問われると、何となくのイメージで「ヴェンゲルみたいな………」と答える人が多かったように思います。じゃあヴェンゲルの何がどう良かったかって問われると答えられない古参ファミリーも意外と多いんじゃないでしょうか。やる気あってコンディション良いピクシー(とDFのトーレスとかCMFのデュリックスとか、かなり反則級の外国籍選手達)がいたら、当時のJのレベル的に勝てて当然感もあり。ヴェンゲルの何がよくて何がいまいちだったのか、そんな総括ができず、ヴェンゲル時代を引きずり、チームとしてあるべきスタイルを構築できなかったことが2016年のアレに繋がっている。そんな気がしてなりません。

1999年『楢崎加入と二度目の天皇杯獲得』

横浜フリューゲルスの消滅によって楢崎(現CSF)と山口素さん(現アカデミーダイレクター)が加入。あと呂比須。この大型補強(確か当時の新聞で10億円補強とか言われていた)によってリーグ優勝の最有力候補と言われるも前半沈んで4位フィニッシュ。しかし2000年元旦、あのピクシーの驚異的なゴールで二度目の天皇杯タイトル獲得。この年から始まった楢さんとグランパスとファミリーの関係は今でもずっと続いています。

2000年『追放とクラブのゴタゴタ』

2000年7月、日本代表歴のある当時の主力3選手(大岩剛、望月重良、平野孝)が唐突に解雇されました。この事件の正式な理由は未だに明らかになっていません。当時の主な報道やインターネット怪情報では

  • 監督(ジョアン・カルロス)と揉めて干された説
  • 解雇された選手らが当時所属の某選手をいじめていた等、素行に対するクラブからの制裁説
  • 解雇された選手らの母校関係者とクラブとが揉めた説

等々ありました。本当のところは関係者しか知り得ません。ただし、クラブとして監督や選手をどう統制していくのか、また統制の手法は適切だったのか、そのあたりに問題があった結果ではなかったでしょうか(そうでなければ、明確な犯罪行為・逮捕とかでもない限り、いきなり主力をクビにしたりしない)。グランパスと言えば、なんかクラブ内部でゴタゴタしがちという、かつてのイメージはここで完全に周知のものとなったと思います。

2001年『妖精がスパイクを脱ぐとき』

2001年夏、ピクシー・ストイコヴィッチがついに現役引退。それがどれほど衝撃的なことだったか、先日、グランパスから発表されたファンクラブ会員数のグラフに表れています。

ファンクラブ会員数年代別推移グラフ

引用元→ http://nagoya-grampus.jp/news/pressrelease/2019/052428-4.php

2001年と比べて2002年に会員数がガックリ落ちていますよね。2001年に、他にそれほどネガティブなニュースも無かったはず(ピクシーが引退するも、2000年7月に獲得していたウェズレイが爆発して5位フィニッシュとまあまあ好成績だった)なので、『ピクシーのいるグランパスが好きだった人』がどれほど多くいたか。ファンクラブ数だけでもなく、ピクシーがいた頃では、大雑把に纏めると『ピッチ上の全権監督』ピクシー次第のサッカーをしていました。そんなピクシーが引退した2001年を以て、グランパスの、J開幕(お荷物)からの、ピクシーとヴェンゲルとの出会いからピクシーのチームだった時代が終わりました。

第1次混迷・解体期:ベルデニックと、ネルシーニョと

ピクシー時代が終わってもチームの歴史は続いていく。ピクシーがいないならば、いないなりに戦っていかなければなりません。そこでクラブは一人の監督を招聘しました。

2002年『頑固爺ベルデニック』

ジェフ市原(当時)で2001年に好成績を収めたズデンコ・ベルデニック監督を札束を積んで招聘。ベルデニックは固い守備の構築を得意とし、堅守からのカウンターで勝利をもぎ取る『勝点を稼げる』監督でした。また、ベルデニックは良く言えば『厳格な』監督で、好成績を収めるもののクラブや選手とだいたい揉め始めます。そして堅守速攻(ボール非保持・リアクション型)の戦い方なので、勝ってる間はいいけど勝てなくなると一気にファンから「つまらない」と文句を言われがちです。グランパスでも成績的には悪くなかったものの、案の定、一部選手と揉めていることが報道され始め、2003年夏に解任。ちなみにベルデニック政権下ではヴァスティッチやパナディッチ等の選手も獲得・活躍していましたね。ヴァスティッチは王子様的ルックスのイケメンのくせにパワー系ぶち抜きシュートを得意とする武闘派FWで個人的に大好きでした。

2003年夏から『勝てるサッカー目指してネルシーニョ、なお』

好成績なんだけどリアクション型で、負けないけど勝ちきれない、ついでに選手と揉めるベルデニックを切ったグランパスは、1990年代にヴェルディを優勝させたネルシーニョを『勝てる監督』として招聘。相手チームの良い所を潰す対策に優れ、札束と選手層を与えてやれば勝つネルシーニョ(ただし選手と揉めて容赦なく干す………って、アレレ?)。2003年夏~2004年はまあまあの結果を残すものの、ウェズレイと揉めて干してウェズレイ退団等、蓄積されていた不具合が2005年にとうとう爆発大炎上。なんか表に出なかった問題もあったんやろなあ………と推測された2005年秋のネルシーニョ解任劇。しかし時既に遅かったのかクラブは焼け野原状態。ダイヤモンドの原石かもしれない選手達(ルーキー本田圭佑とか)がかろうじてが残っていた惨状でした。

2005年秋『監督解任しても良くなるとは限らない』と知った

ネルシーニョを切ってコーチの中田仁司を監督に内部昇格。この、あからさまな緊急人事後、チームの戦績はネルシーニョ時代にもましてヤバいことになり(中田さんは10試合で2勝1分7敗)、順位的にも降格圏がチラつくほどでした。グランパスにとって、ある程度に真剣みのある残留争いは2005年が初でしたね。これについて中田さん個人を責めるのは酷で、そもそもぶっ壊れたチームだったんだから、誰にやらせても結果はあまり変わらなかったと思います。とにもかくにも、ピクシー引退後、とりあえず勝つチームを目指し、勝てるはずの監督を招聘して2連続で失敗し、崩壊したチームは、ここで舵を切り直すことになりました。

1992年~2005年のまとめ

  • この時期を簡単にまとめると、ピクシーが本領を発揮する前→ピクシーのチーム時代→脱ピクシー後のチーム構築に失敗して崩壊。
  • グランパスの『最前線には大物・変態級選手がいる』の伝統はリネカーとピクシーから始まっている。
  • クラブの内部統制がマズいとだいたいヤバいことになる。
  • 勝つことを目指して勝てる監督を連れてきて勝てないと焼野原だけが残る。

(後編へ続く)

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  1. 個人的な思い出と記憶から・・・
    ベンゲルの失速は、オフサイドルールの適用変更が大きな転機でした。それまではオフサイドラインの前に攻撃側選手がいれば、ボールの受け渡しやパスの方向関係なく全部オフサイド。それがこの年の夏から「攻撃側選手かプレーに関与する場合に反則」という概念が、フットボール界に初めて登場して、Jリーグにも適用が始まったんです。
    それまで徹底したラインコントロールの高いディフェンスラインで、相手の攻撃をオフサイドトラップで躊躇させ、ボールを取れれば当然高い位置からの反撃、以下ピクシーと彼の犬役の岡山へ・・・ってのが出来なくなり、その変化に対応した戦術を組めないままなかなか簡単に勝てなくなった・・・という様相だったと思います。
    ちなみにベンゲル信者が多いグランパスファミリーですが、私は「やっとグランパスがチームらしくなり、さぁこれからというタイミングで、自分の私利私欲を優先して敵前逃亡した裏切り者!」ととらえていて、忌み嫌っています(^^;)

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