日本のサポーターの魂は武士の魂の末裔である。
前回までは、サポーターの中にあるメンタリティの構造を言語化してみました。シリーズ最後の記事は、そのサポーターのメンタリティはどこから来てるのか?について自分なりの解釈を述べさせていただきます。
結論から言うと、私は日本のサポーターのルーツは武士道だと思っています。
例えば”忠臣蔵” 、主君が亡なっても忠誠を尽くし、褒章どころか切腹は避けられないと自覚しながらも主君の名誉のために仇を討つ。これが美談として褒められてきた日本のサムライ。
昨年風間監督が解任され、マッシモ・フィッカデンティが就任、そして厳しい成績でシーズンが終わったとき、多くのサポーターが「クラブに裏切られた」という感情を抱いたのではないでしょうか?
この記事を読んでいる方の中で昨季限りでグランパスサポーターを辞めた方はいないでしょう。グランパスサポーターの大部分は、今年も変わらず応援するのではないでしょうか。
この、「どんな時でもグランパスを応援する」という思想は、実は日本のサポーター独特のものです。私はこれは武士道精神に根ざすものだと思っています。
日本サポーターの武士道と欧州サポーターの騎士道
日本のサッカー文化は日本古来からあるものではなく、海外から輸入されたものです。
そのため「サポーターが一つのクラブに、まるで宗教に帰依するかのように応援する」という思想は、海外、特に欧州に由来するものだと考える方もいるでしょう。
しかし実はクラブとサポーターの関係は、日本と海外、とくに欧州では似て非なるものなのです。それは、文化としての”武士道”と”騎士道”の違いに根ざすものなのではないでしょうか。
騎士道とは、元々キリスト教の十字軍の異教討伐に際して、それに参加する戦士に求めた「規律」です。そのためキリスト教ありきで”神”に対して絶対の帰依を要求しています。
一方の武士道とは、江戸幕府が天下泰平をの体制を築くに際して、武士に求めた「主君への忠義」を説いたものです。
ではその騎士の十戒と、武士道7つの徳を見てください。
武士道と騎士道、この2つの最大の違いは帰依の対象です。
- 武士道の帰依の対象は”主君”という見えるもの
- 騎士道の帰依の対象は”神”という見えざるもの
- 武士は名誉のために戦う
- 騎士は”正義”のために戦う
ここで海外のサポーターの行動形態を思い出してください。
彼らはクラブの迷惑を顧みず暴れます。
これを騎士道と照らし合わせて考えると、「自分の理想を曲げない」から暴れると考えてみればいかがでしょうか?
日本人サポーターの多くは、海外のサポーターほどクラブに迷惑をかける行為をしようとはしないですよね。しかし海外のサポーターはします。
なぜなら彼らは前回説明した「理想のクラブと実際のクラブ像のすり合わせ作業」を彼らはせず、「俺らの信じるクラブ」こそ、真のクラブだと考えているからです。
No one likes us, no one likes us, No one likes us, we don't care, We are Millwall, super Millwall, We are Millwall, from the Den… pic.twitter.com/s6cIGkuHr5
— こーちゃん(41) (@kochang1982) December 29, 2019
逆に日本のサポーターはクラブに帰依しているので、上記作業を頭の中でして耐えます。
この日本のサポーターが持つ武士道と海外のサポーターが持つ騎士道を理解しないと”なんで暴れるのか理解できない”と思うのは当然の事だと思います。
我々の監督マッシモ・フィッカデンティの母国イタリアの例ですが、本田圭佑が所属していた時のミランで、あまりに勝てなくなりミランのウルトラが「GAME OVER」の横断幕を出して応援をボイコットしたエピソードがあります。
愛想尽かしたミランサポが応援ボイコット、横断幕"GAME OVER" – LINE NEWS http://t.co/BLjPHHRIip #linenews ミランの熱狂的応援団(ウルトラス)は応援をボイコット。 pic.twitter.com/Tj7pymmXXM
— LINE NEWS (@news_line_me) March 22, 2015
※ちなみに昨年はインテルがコレオでおなじことをしました
恐らく日本のサポーターはこのような行動は取らないと思います。日本のサポーターはどんな事が起こっても応援すべき対象のクラブは「いま目の前に存在しているクラブ」であり「自分の頭の中にある理想」のクラブではないので、目の前にクラブがある以上、応援のボイコットという選択肢が取られることは少ないのです。
マッシモ監督が、最終戦のセレモニーで、「このクラブに対して文句を言ってくれる方がまだいる」という旨の発言をしましたが、恐らくイタリア人である彼が見てきた欧州サッカーの世界では「サポーターのクラブは心の中にあり、目の前のクラブが心の姿と異なる場合、それを自分のクラブとは認めない」という価値観があり、「クラブを認めないサポーターは最後は不満を言うのではなく反逆行為に走る」と考えているのではないでしょうか?
ですが、目の前にあるクラブこそ真で忠誠を誓う日本のサポーターには、「反逆する」という選択肢は存在せず、「最後まで応援する」「グランパスと生きるか?グランパスと死ぬか?」しかないのです。
日本のサポーターはクラブと最後まで運命共同体なので少しでも良くするための「不満」は言っても反逆したり見捨てることは無いのです。
また、マッシモ監督は契約更新時に「必要な犠牲は全て」払うと言っていますが、おそらくそれは我々日本のサポーターが考える「必要な犠牲」と異なると考えられます。
少なくとも「マッシモ監督の信念」は「必要な犠牲」の中に加えるという考えすら思い浮かばないと推察します。
しかし、私はマッシモ・フィッカデンティが”騎士道精神に基づく欧州サッカーの価値観”を持つ人物ならば、我々グランパスサポーターはそれを異文化として理解、受け入れる必要があると思います。お互いのこと理解できればより良い関係が築けますし、今年のグランパスに対してもよりポジティブに向き合えるでしょう。もちろんお互いを信頼し、良い関係、良いクラブを目指すためにも、マッシモ監督が日本サッカーと日本のサポーターをもっとよく理解してほしいです。
グランパスサポーターが目指すもの
サポーターを語る人のなかには「日本のサポーターも欧州のように過激になるべき」と日本のサポーターが欧州のサポーターに劣ることを根拠にした発言をしている方もいます。
私は日本のサポーターのクラブに対する忠誠心は世界一だと思いますし、応援も、欧州の応援に全く引けを取らないと思います。日本と欧州のサポーターを隔てる違いは「価値観」、それだけの違いでしかないと感じています。
価値観が違うもの同士で決着をつけることなんてできません。もしどうしても勝負を決めたいなら、どうしましょうか? お互いの声量のデシベル数でも測りましょうか?笑
それぞれの国、それぞれのチームで、明らかに盛り上がっていないな、という応援もあれば、凄いな、と思われるものもあります。つまり応援に優劣は存在します。
しかしこうあるべし、という「正しい応援」なんて存在しません。
サポーター論、真のサポーターなんて考えていても意味はありません。むしろそれ自体、論点がずれていると思います。
「サポーターの価値」は「正しさ」でしょうか?どれが真のサポーターということでしょうか?
違うはずです。サポーターはサポート。「クラブへ貢献できる力」によって評価される存在ではないでしょうか?
そして私はこの1年で確信しました、「グランパスサポーター」は「クラブへ貢献できる力」が非常に高く、まだ誰も見たことがない、「世界一のサポーター」を目指せる存在であると。
私は、名古屋ゴール裏の良いところは”旗が多く有機的に動いている所”だと思っていますが、他にも旗が多いクラブはありますが、機械的でなくてあれだけ有機的に動けているゴール裏は名古屋だけだと思います。それはどうしてかという”各々がよく考えている”からだと思っていて、それが名古屋のゴール裏の強みだと思っています。
私は”自分たちで判断して正しく動ける”事は凄いことだと思います。それを為すためには周りの空気を理解することや、その空気を元に自分が出来る事を考えて実行する。この高度な能力が不可欠だからです。グランパスで言うならクラブのフロントや広報が考えていること、ウルトラス・ナゴヤが考えていること、自席周辺の人間が考えていることを理解して自分の役割を判断してこなす。これが出来て初めて有機的な動きが実現できます。
例えば、この動画は昨年最終節の鹿島戦のゴールキーパー入場シーンですが私はオーストラリアの国旗の数のバランズが絶妙だと思います。多すぎるとグランパスカラーの”ロッソ・ジャッロ”を邪魔してします。少なすぎるとインパクトがない。この毎試合バランスを維持するためには個々の判断力と行動力は不可欠です。
よくサポーターの中で”ゴール裏サポーターはずっと跳んでチャントを歌っているべき”と言っている方がいます。基本的にはそうだと私も思います。ただ、それはあくまで”基本中の基本”でそれが出来てるだけではただ”初心者を卒業した”だけに過ぎません。
実は今年、私はゴール裏にいながら全くチャントや飛び跳ねなかった試合があります。それはこの記事を書いた試合、ゴールデンウィークの広島戦です。
流石にこの記事の構成を考えながら写真を撮りまくりつつ、ストーリー構成を考えるのは無理でしたorz。ですが、私はこの記事を書くことでグランパスの価値を上げ、ファミリーのモチベーションを上げることが出来ると確信し、私が応援できない分は他のグランパスファミリーが埋めてくれると信じてました。(そして勝った!)
もちろん全員がバラバラな事をしていれば当然良い応援にはなりません。ある程度の統率は必要です。そのためにUN(ウルトラス・ナゴヤ)はいます。なので実行するために必要なのは”高い判断力”と”強い責任感”だと思います。”自分の信じる正しい事”は”自分勝手にやる事で”はありません。
そして、もう一つ大事なのは”サポータースキル”を上げること。サポータースキルとは私は”見る力””判断する力””実行する力”でこれを研鑽することが、私は”応援道”だと考えてます。
私はサポーター、”応援道”とは武道に通じるものがあると思います。武道の世界では”守””破””離”と言う言葉があり。先ほどの”ゴール裏は跳んでチャントを歌うべき”という話は、これは”守”の世界でそれには限界があります。私は限界を突破したいしその先にある”まだ誰も見たことがない世界一のサポーター”を見てみたいです。そして私は名古屋グランパスのサポーターがそれを成せる存在であると確信しております!
新年の挨拶、今年の抱負
皆様、最後まで本記事を読んでいただきましてありがとうございました。そして本来なら年に仕上げるつもりが年始にずれてしまったことを陳謝します。
思えば昨年はグラぽさんに見出され、ここで記事を書かせていただくことになり色々な知り合いも含め、私のサポーター個人としては飛躍の年であったと思います。そして小生の記事に感想を頂けたことは本当に力になりました。昨年は一年間ありがとうございました!
ですがクラブ的には風間八宏を解任し、マッシモ・フィッカデンティを監督に据えて端から見ると真逆のサッカーをして迷走してしまったかのように見えます。
正直私も今年はホーム神戸戦とホーム鹿島戦で応援をボイコッドしてしまいました。私の中の葛藤に答えが見つけられなくて、心が耐えられませんでした。これは私の中で強く恥じると共に、まだまだ自分のサポーターとしての”信念””技術”がまだまだだなと勉強になりました。来年の私個人としての課題だと思っています。
今年はホーム神戸戦と鹿島戦の失態を挽回するとともに、私の夢であるグランパスサポーターと共に”まだ見ぬ、世界一の応援”を目指すために、有形無形の活動を続けていきますので宜しくお願いします!
それでは皆様、また新体制発表会(当選!)か南風原キャンプ※か開幕戦で会いましょう!
(※誕生日近いです。祝ってください(笑)CR7と同じ1985/2/5生まれなので覚えやすいと思います)