あの人気レストランがたまたま空いていたら。
もしディズニーで乗り物の待ち時間がなかったら。
誰だって自分はついているラッキーだと思うだろう。
そう、多くの人にとって〝混雑〟は苦痛だ。
歩きづらい、待ち時間が長い、買いたいものが買えない。〝お客様〟である限り、そこが混雑した場所だと思えば足が遠のく、それは至って自然な心理である。
そう考えると、普段2万人から3万人、多いときは4万人の観衆で埋め尽くされる豊田スタジアムが、〝5千人〟で制限されたら。考え方次第では、こんなレアな体験はなく、そこは快適な空間なのではないか。
自粛の日々が始まり早5ヶ月。その身体よ解き放てと言わんばかりに時を同じくした梅雨明け初日。うだるような暑ささえ愛おしい快晴の下、約5カ月ぶりのスタジアムライフが始まった。
変わらないものは変わらない
急遽チケットを買ってはみたものの、あいにくコロナウイルス感染者は急増中。公共交通機関を避け、友人とともに車で約1時間かけスタジアムへ。
豊田市に到着。おぉ、駐車場が空いている。悪くないぞ5千人。車を降りた我々は、食料を調達すべく豊田市駅前のメグリア(スーパー)へ向かった。
いたいたグランパスファミリー。それにしても目立つのは皆の口元を覆うミズノオリジナルマスク(グランパスくんVer)。許せる、許せるぞ案外。名古屋とミズノの挑戦状にしか受け取れなかったあのデザイン。しかしスタジアム向けに装着すれば違和感なし。普段はただのスーパーであるメグリアだが、しかしそこで巻き起こるディズニーランド現象。今ならおっさんが冒険してもきっと誰も振り向かない。この圧倒的な非日常的空間、そう、ついにJリーグが帰ってきた。
買い物も終わり、地獄の豊田大橋を渡る時間だ。大丈夫、毎週通えば地獄でも、半年ぶりなら怖くない。乗り越えようこの橋を、渡ればそこはスタジアム。
あっはっは、駄目だ暑いしクソなげー(知ってた)。
想像を絶する暑さとブランクなのかこの地獄の距離。
世間はこれだけ変わってもこの橋だけは変わらない。暑いものは暑いまま、長いものは長いまま。以前の日常に戻りたいと嘆く者よ、今すぐ豊田大橋を渡りに来い。あの日の日常ならここにある。
友人の会話に適当に相槌を打つ作法は以前のままに、なんとか地獄ロードを渡り抜いた私は、ついに待ちに待った豊田スタジアムをその視界に捉えたのだった。
変わっちまった風景
分っちゃいた。ただ想像以上に人は少ない。
いつもは試合前で大混雑のスタジアム前広場も、いくつかの出店が立ち並ぶ程度であまりに殺風景だ。名古屋ゴール裏がある北側のスタジアム外に至っては、歩く人すらほぼいない。
これはあれだ、一度だけ来たことがある、イベントが何もない日の豊田スタジアムのそれだ。
到着後に気づく、変わってしまった風景とその現実。
賑やかな話し声がないから余計に響くクアイフ森ちゃんの声。今さらだけど思ったSalviaはいい曲だと。
いつもならスタジアムの外でダラダラするのが醍醐味なのに、暑いし・静かだし・やることないしの三萎(さんなえ)でそそくさとスタジアムに入ることに。
ちょっとグッときたスタッフからの掛け声
(俺の体温は大丈夫なのか……)
駆け巡る不安。この暑さと地獄の橋のせいで体温がもし上昇していたら、きっと私は豊田スタジアムを即座にくそスタ認定するだろう。
緊張の検温。そして初のサーモカメラ。ダゾーンの選手紹介風に立ってみたい衝動に駆られるが、実際はそんな和やかな雰囲気ではない。良かった、私はクリアした。豊田スタジアム、改めて国内屈指スタ認定。
そのとき迎え入れてくれるスタッフの声が聞こえた。
「お帰りなさい!!」
粋な言葉だ、ちょっとグッとくる。
そして実感した。
ホームに帰ってきたのだと。
当たり前だった日常に帰ってきたのだと。
待ってくれていたスタッフさんがいたのだと。
あぁ来てよかった。あの橋、渡ってきてよかった。我慢の日々だったけれど、今日を迎えられてよかった。万が一この投稿を読んだスタッフさんが、今後大勢でお帰り攻勢を仕掛けてくるのは小っ恥ずかしいのでやめて欲しい。ただいま!素直にそう思った。
伊達公子の気持ちが今ならわかる
スタジアムの中は確かに人がまばらだったけれど、何も変わっていなかった。このときはそう思った。
スタジアムに鳴り響く音楽。芝の匂い(匂ってる気がする)。選手たちの姿。試合までのあの高揚感。
この日はたまたまバックスタンド二階に陣取った。
ただ前後左右を空けても思いの外〝密〟なことに気づく。
もしかすると今は声が出せないゴール裏の方々も、だったら普段観ない場所で観てやろう、そう考えているのかもしれない(そういう会話が聞こえた)。
ピッチを横から見るなら最もコスパが良いバックスタンド二階に人が集結したのは当然といえば当然で、ここだけは可能な範囲で超満員だった。
試合前にTwitterをチェックする。お前は今日も妻に監視され、きっと試合を観れないだろうと揶揄してくる先輩方。甘い、今改めて圧倒的高みからこう言おう。
おれは、あのときそのスタジアムにいた、と。
そうこうする内に、スターティングメンバーの発表があり、選手入場の時間がやってきた。
集合写真を終え、ピッチに散らばった選手たち。
この瞬間、ピッチ内でも変わってしまったことがあるのだと、痛烈に体感することになる。
音という音が、全くないのだ。
スピーカーから鳴る音が消え、スタンドからの拍手も消え、もちろん声をだす者もいない。
少なくとも約5千人が集う場にも関わらずこの無音。
初めて体感する異様な空間。
隣にいた友人は苦笑いを浮かべつつ、「練習試合に来たみたいだな」と言った。その通りだと思いつつ、私は「これは腹がなったらバレる」と、学生時代のテスト前を思い出す。もっと飯を食べればよかった。
そして試合が始まった。スタジアムには、良いプレーに拍手の音が響き、相手のチャンスでは無言の圧力が充満する。更にここでもう一つ、面白い現象に気づいた。
新しい観戦様式に従い着席しているものの、選手がミスをした時だけ、ため息の声が漏れてしまうのだ。
「あぁぁ!!!!」
これがかの〝伊達公子現象〟か。テニスが好きな連中は、以前からこの観戦様式だったのだな。
思わぬ発見とともに、その伊達公子現象に「お願いだからため息つかないで!」と訴えたあの日の伊達公子へ想いを馳せる。確かにこれは人間の性かもしれぬ。
(「ため息ばかり!」試合中に訴える伊達公子さんのニュース映像:38秒)
なんて声がデカいんだ中村航輔
テニスといえば、テレビで観てもボールを打つ選手の声が聞こえてくる。見事にテニスコート化したこの日のスタジアムも、当然ながら選手の声が鳴り響いた。
中でも一際目立ったのが柏の中村航輔だ。
「ヤマーひだりー」「んだぁあああ!!!」
失礼ながらなんてうるさい奴なんだ(褒めてます)。
山下(柏のセンターバック)おまえはどれだけ右に行きたいんだとか、キャッチ出来そうだからってそんなデカい声だすなよとか、とにかく声の存在感が凄まじい中村。〝声で守る〟トップレベルはここまでコーチングをするものなのか。すげえ、すげえぞこの空間。
それにしても中村という男。ただでさえ声がデカいのに、主審に向かって「カードだせ」と大声で暴言。授業中に「先生の授業はつまんねー」と叫ぶ奴がどこにいる。そこはコソッとだろコソッと。まだこの環境に適応出来ていない中村。スタンドまで響く声で要求し、結果彼自身がカードを喰らった瞬間、まさに新しい観戦様式の出番だと私は拍手でそれに応えた。
意味のない日々などない
試合は負けた。柏のとんでもないゴール、あれは以前の観戦様式でもきっと静まり返っていただろう。
余談だがオルンガと江坂は中東へ早く行ってほしい。
さて、新たなスタジアム観戦で、我々に与えられた唯一の感情表現は〝拍手〟だった。
でも決して悪いことばかりではない。
例えば柏の選手達がピッチに登場した際、「よくこの状況でも豊田に来てくれた」と、我々は彼らに全力で拍手をした。もちろん試合中は言うまでもなく、良いプレーだと感じれば拍手をすることでその感情を選手達に伝えようとした。誰が率先するわけでもなく、どの席にいるかなど関係なく。誰もが自主的に。
ありがとう!や、ナイスプレー!なんて、声を揃えて普通は言わないけれど、拍手だったら誰でも出来る。
拍手のあり方を問い直すなら、今は絶好の機会だ。
ではこの新たな観戦様式がベストか。もちろん違う。
ゴールが決まっても声をだして喜べない。選手が苦しい時、声で背中を後押しすることもできない。
つまり、これは日常の延長線にあるもので、決して〝非日常〟ではない。では非日常とは何だと問われれば、私は〝感情が爆発する瞬間〟と答えよう。
「どれだけ応援しても所詮戦っているのは選手達だ」
ときにこんな冷めた見方がある。どれだけ応援しても、我々が試合をするわけではないのだと。
今のスタジアムをみて、同じことが言えるだろうか。
選手達は誰のためにゴールを決め、そして喜ぶのか。
何を糧とし、苦しくとも最後まで走り抜くのか。
戦った先に何が残り、なぜ勝ちたいと強く願うのか。
自分のため、だろうか。
そうであれば、そのスタジアムはきっと無機質で味気なく、熱狂とは無縁の場になるだろう
自分のため、そして〝応援してくれる者のため〟。
この両者がスタジアムに揃うから、ゴールが決まれば喜びが爆発する。苦しくとも、きっと選手達は最後まで走り抜く。共に勝利の美酒を味わう為、立場は違えどその試合に勝ちたいと強く願い、そして戦う。
スタジアムは芸術鑑賞の場ではなく、何となく応援する場でもない。喜怒哀楽の感情が爆発する場なのだ。
だからこそスタジアムには満員の光景がよく似合う。
スタジアムは、選手達と、我々が作るものだから。
今はまだ、ファミリーという名のお客様だ。
だからこそ早く戻りたい、本物のファミリーに。
最後に、最近結婚した友人がふと漏らした一言を。
「いつもは冷たかった母親が、実家を出てからというもの、時々帰ると妙に優しいんだ」
当たり前にある日常の尊さは失われて初めて気づく。
失われないと気づけない。今はそんな気持ちである。
だから伝えよう、妻に感謝の言葉を(結局はそこ)。
文中の写真はみぎさんご自身と、ミサクさん @misakulovegra https://misakulovegra.hatenablog.com/ にご提供いただきました。ありがとうございました