- 楢崎正剛、俺らの誇り text by グラぽ
- 僕達の、生きている、鉄壁 text by ラグ
- 楢さんへのラブレター text by Nacky a.k.a.青井 高平
- 楢崎正剛様へ text by コンウェン
- 楢さんへ text by pochi_758
- 守り切ってもらった text by ドクターK
- ジャージ姿の、楢崎正剛 text by みぎ
- 太陽の守護神 text by skybaystarlight
- ありがとう。 text by halkov
現役最後は奈良クラブに行ってほしいなという私の妄想は叶わなかったけれど、楢崎選手(まだ、どう呼びかけていいのかわからない)が決めたのなら受け入れます、まずはお疲れさまでした、ありがとう、ほんの少しのお礼の文を綴らせて下さい。
楢さん(という呼び名は個人的には慣れていないがもう選手ではなくなってしまったからこう呼ぶしか。)を好きになったおかげで、それはそれは豊かなサッカーの世界に触れることが出来ました。
98年のワールドカップで、それまで全く接点の無かったサッカーに興味を持ち、その年の秋頃にJリーグを観に行き始めた途端のフリューゲルスの悲劇。フリューゲルスサポの友人に連れて行って貰った試合でPK止めて「サッカー選手なので、(マスコミなどでチームへの不満を訴えるのではなく)ピッチで表現します」とインタビューに応えたのを見て、ぎゅっと心臓掴まれてしまいました。
そのままあれよあれよという間の天皇杯カウントダウン、フリエサポの友人たちが決死の面持ちで全国に天皇杯の応援に行くのを横目に、心から忠誠を捧げるチームがあることへの羨望を感じながら、そのことで苦しむ辛さはまだ自分のものではありませんでした。
フリエサポになるには少しタイミングが遅かったけれども、99年の晴れた正月の国立競技場に立ち会うことが出来ました。 ピクシーは好きだったけど、楢さんが移籍しなかったら名古屋のファンにはならなかったでしょう。地縁のないクラブを応援することは本来のJリーグファンの姿ではないかもしれない。好きになっちゃったものは仕方ないので、そうやってグランパスファンになり、Jリーグは私の暮らしの一部となりました。
GKという特殊なポジションの選手のファンとしては、代表を素直に応援できない時もありました。 代表ではたった一つの椅子を巡って、いつも祈るような気持ちでした。トルシエのチームでフランスから呼ばれたGKコーチが、「キャンプに呼んだ3名のうち一人素晴らしい才能の選手がいる」と言ったとき、それが楢崎選手であってほしい、と心から祈ったものです。ファンの思いは勝手なもので、そんなお墨付きがあろうがあるまいが、選手は最善を尽くして精進するしかないのでしょうね。
ワールドカップ出場、 名古屋のリーグ優勝。 こちらこそ、夢のような体験でした。
夢から覚めて、どうなっていくのか正直まだ混乱しています。
とはいえ、今まで通り時々関東のスタジアムに行くくらいのゆるさでグランパスの試合を見に行こうと思います。そこに楢さんが居なくても。 もうひとつ繋がった縁、サッカーファンになっていなかったら、夫と知り合うことは無かったでしょう。これも楢さんのおかげと言えましょう。(夫の撮った写真を載せておきます)
楢さんのファンで良かった。ホントにカッコ良かった!