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ULTRAS NAGOYAってなんだ? シンゴさん&カズヤさんインタビュー(1)

第1回 ULTRAS NAGOYAってなんだ? シンゴさん&カズヤさんインタビュー(1)
第2回 楽しめこの時を!スタジアムで1つになる シンゴさん&カズヤさんインタビュー(2)
第3回 ゴール裏と応援の未来 シンゴさん&カズヤさんインタビュー(3)

Jリーグのゴール裏のイメージ、皆さんはどんなイメージを持っているだろうか。

Jリーグが毎年作成している、スタジアム観戦者調査のレポートを見ると、名古屋の男女比は72:28。44%も男性が多い。(ちなみにJリーグ平均は62:38)

チャントのボリュームと迫力がスゴイ!といつも言われる名古屋のゴール裏だが、そのあたりに秘密があるのかもしれない。

一方で、その迫力満点で、調査レポートの表紙にもなるようなゴール裏が、「怖い」という人もいる。
知らない男たちが集団でいて、大きな声を出しているというだけで気後れしてしまう、という人も実はいるのだ。

そう、そこで問題になるのは「よく知らない」ということなんじゃないだろうか?

また、「一緒に声を出したり、跳ねたりしたいけど、どうしたらいいのかわからない」という人もいる。

それは「どういう風に声をかけたらいいのか」、「きっかけが掴めない」ということなんじゃないだろうか?

これも、UNのことをよくわからないことが原因であるように思える。

グランパスのゴール裏にはどんな人たちがいて、どんなことを考えているのか、それをまとめたほうがいい、そう考えた。

そこで今回は、ゴール裏と、ずっとチームの応援の先頭に立っているコールリーダー シンゴさんとカズヤさんにお越しいただき、話を伺った。

※文中敬称略

是非、これを機会にULTRAS NAGOYAのことを皆に知って欲しい。

ULTRAS NAGOYAはこうしてはじまった

グラぽ:
まず初めに、ULTRAS NAGOYAという「団体」と、言っていいのでしょうか?
毎試合、応援をしている姿を見ていたり、参加していたりしていたとしても、実はよくわかっていないっていう人が多いと思います。
ULTRAS NAGOYAは、なんなのか、どうやってできたのか、教えて下さい。

カズヤさんとシンゴさん
カズヤさん(左)とシンゴさん(右)

カズヤ:
団体か………

どうやって言ったらいいのかわかんないけど、何年何月にUN結成とかって始まったってわけじゃないんです。 1993年にJリーグが始まって、それから10年間くらいは別の人たちがゴール裏を仕切っていた。 たぶん、最初の数年は4、5人くらいのメンバーを中心にしてやっていて、95年くらいに皆さんも知っているSA(サポーターズアソシエーション)と言う団体ができたんですよ。

当時、サポーターグループというのは今よりもたくさんあったんです。

各サポーターグループ同士の交流も盛んでした。 大きなグループは4、5団体くらいあったかな。今も積極的に活動しているのはEVER FLAMEさんくらいかもしれないけどね。 いっぱいあったんですよ。そんなグループが………。

個人的な認識では、SAはそんなグループの「管理組織」だったんです。

引っ張る存在のいなかったゴール裏

カズヤ:
当時、ゴール裏全体としては良くない状況だったと感じていて、僕はそれが嫌だった。正直言うと「SAと一緒にやりたくない」と思ってました。

大森さんとか楢崎さんから「昔はバラバラだったよね(笑)」なんて、言われるような状態。

カズヤさん

その頃シンゴとは別々に行動していて、俺はULTRA’ NAGOYAというグループにいました。

俺はその頃のグランパスの応援スタイルが良いと思ってなくて、SAよりもカッコいい応援をやりたい!と考えたんだ。

実際にカッコ良かったかどうかはともかくとして、実際SAとは完全に分裂していたんだよ。

豊スタが出来た2001年頃でも、俺、豊スタの二階でドラム叩いたこともありました。当時はまだシンゴとも別でね。あと瑞穂でも聖火台とかバックスタンドとかで、SAとは露骨に別のことやってました。

ただ、何度か1つになれたことがあった。

2000年元旦、天皇杯の優勝の時とか、ピクシー(ストイコヴィッチ)が引退した瑞穂の試合でその、別々でやってたグループが、一緒に応援やったんですよ。

でもその後、みんな解散状態になったんです。それが2001年。

シンゴさん

ピクシーの引退というインパクト

シンゴ:
自分の中のストーリーも話そう。

ピクシーの引退って一つのきっかけ・ターニングポイント的な感じだったんです。 グランパスのサッカーとしてもピクシー中心で選手みんなが動いてたんだけど、その柱が抜けたことで、チームとしてもどういう風に変わっていくか見えなくなってしまった。

ゴール裏で応援してた人たちも、そこで一区切りになっちゃった感がありました。 ピクシーを見るために試合に来てた人もいたのかもしれない。 ファンも実際そこで減ったんですね(編注:グランパスのファンクラブ会員数は2001年から2002年にかけて実際に激減した)。 ゴール裏としてのパワーも本当にそこで落ちて。誰がここから先をまとめていくんだろう、みたいな。

カズヤ:
そういうことだよね。一回あそこで、ゴール裏も一回、まっさらになったと思うんだよ。 俺これね、持ってきたんだけどね、ピクシーの瑞穂ラスト試合の半券。

2001年7月14日、対サンフレッチェ広島戦ピクシー瑞穗ラスト試合の半券

意外と家探したらあった(笑)。この日だよね、この日。シンゴはどこにおったん?

シンゴ:
ゴール裏。

カズヤ:
のどの辺?

シンゴ:
真ん中。

カズヤ:
俺はSAとのいざこざもあって真ん中行くの嫌で、ゴール裏のバック側にいたの。 それまではSAとは別にやろうとしてたし、バラバラだったけど、その試合では俺たちも皆ゴール裏の真ん中行って、なんかグシャっとなって、バーンって弾けた。 それまでの仲間たちはピクシーの引退とともに燃え尽きた。

新たなるコールリーダーの登場

カズヤ:
2001年って2シーズン制だったよね? セカンドシーズン、誰がコールリーダーやってたかも覚えてないけど、なんか結構、空虚な感じだったよね。 誰がゴール裏の中心やるわけでもなく。

シンゴ:
日替わりコールリーダーみたいな感じでしたよ。 中心に立つ人間も毎試合変わったりとか、下手すると試合中に変わったりとかもしてた。

そんな中、自分はゴール裏で、とあるグループの人たちと仲良くしててゴール裏真ん中ら辺で見てたんだけど、当時のコールリーダーから、試合中に「やってみない?」って言われて、中心に立ったんです、瑞穂で。

初めてはピクシー引退直前の鹿島戦(2001年4月24日)で、まだそのときVゴール方式だったんですよ。 その試合の後半途中からいきなりゴール裏の中心に立ちました。しかもそんな試合に限って延長になって、森山泰行のVゴールで勝ったんですけど。 それがきっかけで、それまでのゴール裏中心の人たちとも話をするようになって、で、シーズンが終わった。

カズヤ:
ピクシー引退後ってさ、やりたい奴がコールリーダーやれよみたいな、無責任じゃないけど、もう誰がコールリーダーやってもいいくらいのノリだったもんね。 シンゴだって、ちょっと俺やるわくらいの感じで。

シンゴ:
いや、俺はやれってって言われて上がったんだけど(笑)。 ただ本当にそれくらい無秩序な、結局、誰がって責任転嫁じゃないけど、そういう状態になってたんです。

2001年が終わったときに、関谷さん(SA現代表)と話をしていて、このまま曖昧に進めるのは嫌だし、だれかやっぱり頭になれるような人間がいたほうがいいんじゃないですかって話をしました。

その時に関谷さんが「じゃあシンゴ、お前やってくれる気持ちはある?」って言うから「みんなが良いならやってもいいですよ、自分は気持ちはある」って話をして。2002年のシーズン始まる前、当時のクラブグランパス(編注:当時の栄の店舗)でSA・ゴール裏のミーティングみたいなことをやったんです。

カズヤ:
毎年やってたよね、来年、誰がコールリーダーやるとか。

シンゴ:
そこで関谷さんが、「シンゴにコールリーダーをやらせようと思うんだけど」って言ったときに、昔からゴール裏やってる方々は「いきなりそんな若いやつにやらせるの?」って反発もあった。

カズヤ:
でもみんなやりたくなかったんですよあの時期。

シンゴ:
その時、自分、20代後半くらいで、なんかぼそぼそと文句は出たんですけど、その時に今も一緒にやってくれてる仲間の子が、

「じゃあそんなこと言うけどさ、代わりに誰か、お前やるの? シンゴが気持ち持ってやるって言ってんじゃん。こんな状態の中でやるって言ってるやつを、サポートもしないで文句だけ言うのってなにも変わらなくない?」

って言ってくれて。じゃあやらせてみるか、となったのが今の始まりです。 SAって枠組みの中で、応援セクションのリーダーを任せられたみたいな感じでしたね。

カズヤ:
そのミーティング、俺は行ってないんです。 SAのそんな場に二度と行くかって思ってたから。 それ以前のミーティングにはたまに顔出してたんですけど、もう行かねぇよって。

シンゴ:
俺がコールリーダーやりはじめた時って、ちょうどヴェルデニックが監督になったんですけど、チームはやっぱりそんなにすぐにはうまくいかなかったし、最初のうちは連敗したりもしてたし、噛み合わないところが多々ありました。 チームが連敗したら、俺の応援のリードが悪いとか、当時はまだSAのネット掲示板も結構にぎやかだったんで、「あのコールリーダーを交代させてください」とか書かれて。

カズヤ:
それは俺も言った(笑)。

シンゴ:
でも、半年くらい続けていた中で、ちょっとずつ自分のことを理解してくれたりとか、協力しようとしてくれる人とか、元々のグループ以外の人でもちょこちょこ出てきたんです。 スタジアムでもやり取りをして、結構若い子とかも増えてきました。

ちょっとずつ形ができてきて、組織っぽく動ける様になったきたなっていうシーズンの途中に………。

カズヤ:
そこでまた一波乱。

ULTRAS NAGOYA誕生

シンゴ:
うちの若い子が、カズヤのいたグループとかに、俺たちに協力する気があるのか無いのか一回ちゃんと話をしたいって言い出したんです。

で、瑞穂で試合始まる前に話す場を作ったら、うちの若い子が結構生意気な口調で食ってかかった。 「これまでやってきたかどうかは知らないけど、これからやってくのは俺達なんで」って。

そしたら、カチンときたのか、カズヤとかが、「じゃあ俺達もやる」ってなったんです。

「じゃあ、やるんだったら一緒にやろうよ、と。

カズヤ:
自分もピクシー引退で一回燃え尽きて……しっかりしてなかった所をちゃんとやろうって言ったら変だけど……

「元々自分たちがSAの応援よりカッコいいことやろうと言って始めたのに、何やってるんだろう俺たち」って思ったんです。もっと良い応援を作るんじゃなかったの?って気持ちを思い出した。

その時にシンゴと、もうひとり『大将』って人がいるんですけど……。 この人が俺達の核・お父さんみたいな人で、俺達が兄弟喧嘩してても、まあまあって収めてくれる人なんです。 その3人があるときガッチリ手を組んだっていうか、やろうぜってなったんですよ。 なんだろうね、色々きっかけはあったんだけど。あれって2002年?

シンゴ:
2002年。一緒になったのはね。

カズヤ:
やろうかってなったんだよね。

シンゴ:
大将は自分らよりちょっと歳が上なんですよ。

自分だけじゃ、やっぱり若かったし、誰もなかなか話を聞いてくれない・納得してもらえない中で、最終的には自分でUNを起こすんですけど、大将が上手にサポートしてくれたんです。

自分のやりたいスタイル、例えばゴール裏の形とか、今当たり前にできてるダンマク(横断幕)とかについて、自分の中での理想・こういう形にゴール裏をしていきたいよって大将と話しました。

俺はイタリア・セリエAのゴール裏が好きで、ダンマクとかチャントとかも、そういう海外のウルトラスのイメージをベースに、自分で歌詞をはめて「こういう感じでやりたいんだけど」って。じゃあ、それに合わせてダンマク作ろうか、こういうふうにチャントを作ろうかってなったんです。

Embed from Getty Images

それまでSAで使ってたチャントを2年くらいでほぼ全部変えたんですよ。昔からの人達からは反発されたんですけど。 それでも、コールリーダーをやらせてもらうと決まった時に、やるからには自分のやりたいように全部変える、その代わり責任は取る、そういう約束をしたので。

そんな状況で、俺達に協力できない・協力する気が無いって離れた人もいるんですけど、逆に俺達に協力しようと思ってくれる新しい人たちもいました。 カズヤとかとも色々やり取りしてる時に、まあ、最初は意見も合ってなかったけど。

カズヤ:
それまではシンゴと話したことも無かったから。

顔も知らない若造……実は歳変わんないけど(笑)「誰だお前?」「何だお前?」って、試合後に殴り合いになりかけた時もありました。

それでも、ちゃんと腹を割って話して、将来のビジョン・名古屋のゴール裏をどうしたいのかお互い理解して、大将と一緒に3人で、ピクシー引退で一回ぐちゃぐちゃになったゴール裏から、すごい、どこにも負けないものを作っていこうって結束したんです。

それが多分、今のUNの最初でした。

その時に100本くらいUNのマフラーを作ったんです。作ったはいいけど、俺自身も最初そうだったけど、何でシンゴ達と一緒にやらなきゃいけないんだって人もいたから、なかなかマフラーも広がらなかった。最終的には、全部無くなりましたけどね。『ULTRAS NAGOYA』ってダンマクを作ったのも、そこで俺達がやってこうぜってなってからだよね。

シンゴ:
みんながほんとにそこで、ギュッと結束できた。一番大事なのは、ゴール裏を今のままじゃ良くない、変えたい、自分たちの思う理想に近づけたいって想いです。

でも人が足りないから、同じ思いを持った人で結束してやってくしかない。

その根本の部分、良くしたい、熱くしたい、強いゴール裏にしたいって想いが同じだった人間が、そこでグッと集まった。

自分たちでイメージを共有して、イメージを広げていくために、どういうイメージが良いかなって考えた時に、海外のゴール裏を参考にしたんです。

海外のゴール裏って色々な呼び方があるじゃないですか。『ウルトラ』とか『ティフォージ』とか。自分たちの中ではウルトラって名前に込められた精神的な部分を大事にしたいって想いがありました。

そういう、ウルトラな人間の集まりを、これから増やしていけたら良いねって言って作ったのがマフラーだったんです。

カズヤ:
だいぶ話長くなったけど(笑)。そういう意味で、名前をウルトラス(ULTRA”S”)っていうS・複数形にしました。

ファン・サポーターを超えた存在に、俺達がファンとかサポーターとかより一つ上の熱狂的な集団でいたいって表現したいので、名前をウルトラから貰ってウルトラスにしたんですよ。

最初にいたULTRA’ NAGOYAのマフラーには、名前どおりSはついてないんです。

でも、このマフラーにはエスついてるんですよ。

一番最初に言った、俺達がUNって団体だと思われてるところ。確かに団体なんですけど、それよりも一人一人が、ファン・サポーターを超えたくらいの熱狂度を持って、そういう人をウルトラだとして、ウルトラな人の集まりの総称として名付けたんです。

中にはサポーターグループみたいに丸々一緒にやってる人もいますけど、俺もシンゴも、じゃあなんかのグループかって言われても、ねえ?

多分、単独でぶら下がってるよね、ULTRAS NAGOYAっていう傘に。

傍から見たら、どう見てもグループなのは間違いないんですけど、俺達の意識としては単独だってところがあって。

瑞穂でもトヨスタでもでかでかとUNのダンマク出させてもらってますよね。

あれだけの場所を自分たちのダンマクで占拠するだなんて、最初ものすごく反発もされたし、色んな人に文句も言われました。それでも、名古屋のゴール裏全体をもっとすごいものにするために、ファン・サポーターを超えた、より熱狂的なウルトラにゴール裏全部・全員がそうなって欲しい、そういうものを目指すって意味でも、「ULTRAS NAGOYA」って、貼らさせてもらってるんです。

「団体名をゴール裏全体に貼るのはどうなんだ」とか「チームのダンマクをどんだけ出すんだ」とか言われましたよ。

捉え方次第ではありますけど、俺達としては、ゴール裏でバラバラにダンマク出すよりも、名古屋の応援の熱狂度はどこにも負けたくない、熱狂的な集団でありたいから、一つ纏まりとしてやりたいって思ってます。

ULTRAS NAGOYAのルーツって、マフラーとかダンマクを作った想いにあると思っています。

気持ちを同じくすれば、仲間になれる

グラぽ:
最近だと、Tシャツとかも作られてますよね。

シンゴ:
作ってなかった時もあるんですけど、ここ何年かはずっと作ってますよ。

カズヤ:
最初は自分達で存在感出すためにTシャツ作ったり着てたりしてましたけどね。最近はもう、自分達っていうよりなんか、認知度、広がってるんで。色んな人が着てますよね。ネットで売ってるの?

シンゴ:
うん。

カズヤ:
知らない人いるよね、UNのTシャツ着てても。それは全然良いんですよ。さっき言った、ウルトラの精神で。

グラぽ:
集まってくれてるだけで。

カズヤ:
そう、その意識でやっててくれる仲間が増えてる。

シンゴ:
中には「UNさんがいて、なんか引っ張ってくれてて、自分たちはそれに乗っかっている、協力してくれてる」て考えてる人もいると思うんです。

そういう考えは別に否定するつもりはないんですけど、俺達も自己顕示のためにあのダンマクを出してるわけではないんです。ちゃんと深く話ができる人には言ってるんですよ、「みんなもウルトラですよ」って。

カズヤ:
俺達の既存のものを超えましょう、ていう。

シンゴ:
俺達の名前をひけらかすためにダンマクを出してるわけではなくて、みんなが居るゴール裏だから、ここがみんなのそういう場所だ、っていう意味で、出してるんです。

だから、マフラーとかTシャツとかでも、わざわざ「俺たちでも着ていいんですか」とか聞いてくれる子がいて、そこで「気持ちはちゃんとありますか、自分たちと同じような気持ちを共有してくれてますか」て逆に聞いてます。

「もちろんそういう気持ちはありますよ」と、その覚悟があるなら、どうぞ買ってくださいって言ってます。

もちろんフリーで売ってるんですけど。

でも、わざわざちゃんと聞いてくれる人には、そうやって自分の思いみたいなものは説明してるので、だからこれからも聞かれたらずっと同じ答えしかしないというか、あくまで自分たちの中では「団体」っていうもんじゃない。

カズヤ:
「入りたい」って言われても、入る入らないじゃないんですよ。

「仲間になりたい」って意味だったら、近くにいれば話もするし自然に仲間になりますよって。
でも入団証とか会員証があるわけじゃなくて…。

シンゴ:
ここが一番大事っていうか、逆に聞かれてそうだと思うんですけど、ここは俺、肝だと思うんですよね。

カズヤ:
ホントに、俺とシンゴみたいに、最初別々で、仲が良かったわけでもなくて。
敵とまでは言いませんが全然別の応援やってた人間が、こうやってマフラー作って、しっかり話すことによって、同じ気持ちで、今はもう試合中、自分の半分・半身みたいな気持ちで一緒にやってる。
それぐらいになれるっていうのは、サッカーのゴール裏のいいところなのかなと。
今でも、「なんだコイツ」って思ってた人間でも、喋ってみて、一緒にいるうちに、「ああ、同じ気持ちで、名古屋のために闘っているんだ」って思った瞬間仲間になれる。
最初のマフラーの時なんて正味2、30人でしたよホントに。
そこから、今くらいまで、顔知ってる人がたくさん増えました。
だから、UNに入る・入らないとか言ってくれてる人とかでも、喋って、同じ気持ちだなと思った人なら、いる場所関係なく、仲間だなと思えれば、俺はもう「名古屋を応援している仲間」だと思ってますし、ゴール裏で跳ねたり声出したりしている人たちはUNの仲間です。それを『ファミリー』って、当時からシンゴは言ってましたね。
『la famiglia』の幕はそういう意味で出してます。

LA FAMIGLIA
LA FAMIGLIA

なかなか理解はされないですけどね、ちゃんと言っておかないと。

グラぽ:
今回のインタビューを読んでもらえれば、「あ、べつにそんなに敷居の高いものじゃないんだ」、と。

シンゴ:
そう思ってもらえたら全然いいと思います。

グラぽ:
いいきっかけになるかも知れませんね。

シンゴ:
ホントにホントに。

グラぽ:
同じ想いの元に集まるという。

カズヤ:
その想いは、団体を大きくしたいとか自己顕示欲ではないんです。
僕たちは、名古屋のゴール裏を「どこにも負けない、強い、熱狂的なもの」にしたい。今なりつつあると思っています。

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About The Author

グラぽ編集長
大手コンピューターメーカーの人事部で人財育成に携わり、スピンアウト後は動態解析などの測定技術系やWebサイト構築などを主として担当する。またかつての縁で通信会社やWebメディアなどで講師として登壇することもあり。
名古屋グランパスとはJリーグ開幕前のナビスコカップからの縁。サッカーは地元市民リーグ、フットサルは地元チームで25年ほどプレーをしている。

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