
らいかーるとさんの新刊『アナリシス・ブレイン』が刊行されました。
この機会に、2019年に刊行された前作『アナリシス・アイ』からあらためて読み直し、その内容を単純な書籍紹介ではなく、「名古屋グランパスに置き換えるとどう見えるのか」という視点でかみ砕いていこうと思います。
本シリーズでは、7月のキャンプインまでの間、『アナリシス・アイ』と『アナリシス・ブレイン』を手がかりに、サッカーを見るための視点、そして名古屋グランパスを見るための補助線を整理していきます。
なお、この記事にアフィリエイトの意図はありません。グラぽの記事ややわらかめコラムを読む目も変わってくる本だと思いますので、興味を持った方はぜひオリジナルを手に取ってみてください。
『アナリシス・アイ』
らいかーるとさん らいかーると (@qwertyuiiopasd) は2006年頃からインターネットでサッカーの試合をレビューして記事にまとめてくれている方です。実はグラぽにも寄稿いただいたことがあります。
そのらいかーるとさんが2019年に書かれたアナリシス・アイはサッカーの試合のレビューを書いている人に大きな影響を与えました。今回紹介するのはこの本です。
アナリシス・アイ ~サッカーの面白い戦術分析の方法、教えます~(小学館新書)
- 著者:らいかーると
- 出版:小学館新書(2019年)
どういう視点・視座から、何を訴えたいのか
本書の根幹にある問いかけは「試合の結果ではなく、ピッチで起きている現象そのものを正しく観察・評価できるか」という点にあります。
らいかーるとさんは冒頭でこう述べています。
「サッカーの結果は偶然性に大きく左右される。だからこそ、結果というバイアスを外してピッチの現象を分析することが、選手・監督・チームを正しく評価し、日本サッカーの底上げにつながる」。
この視点を支える信念は3つあります。
- 選手と監督は「正しく評価されたがっている」 : スコアだけで評価するのではなく、試みや変化を見取ることが観戦者・サポーターの役割だという倫理的な立場。
- 分析眼はトレーニングで習得できる : 生まれつきの才能ではなく、観察の枠組みを学べば誰でも「色を伴ってピッチが見える」体験ができるという実践的な確信。
- サッカー文化の発展 : サポーターが監視者として機能することで、チーム運営の透明性が高まり、「結果が出ているから良いよね!」ではなく、そのチームが良いとされている理由をピッチで起きていることからわかる人が増えていけば、日本のサッカー文化の醸成に繋がる。それが日本が強豪国になるためには必要である、という社会的な目標意識。
特に3番はとても大事なことだと思っています。自分がサッカーをはじめたのは21歳のとき。それまでは野球を続けてきていました。パワー系なので巧みさとかはありませんでしたが、それなりに活躍はできたという自負はありました。
だからこそ思うのですが、日本のNPB(プロ野球)が強いのは、一定の年齢以上の日本人に野球経験者が多く、ただ数字だけでなく、なにが良くてなにが良くないのかということを適切に評価ができる層が多いことがあると思っています。
数字しか評価しない層もいるにはいますし、SNSなどでは目立つことも多いですが、適切に評価されることも多く、特にそういう人が育成の現場に多いのです。だからメジャーで通用する選手を毎年のように輩出できているのだと思っています。
自分も自分たちのプレーを適切に評価し、分析してくれて指導してくださるコーチの人に恵まれたことが大学途中までプレーができた原因だと思っています。
応援する立場からも、適切な評価・分析ができることは選手にとって嬉しいことだ、ということを覚えておいて欲しいところです。
そのためにどういうアプローチをとっているか
第1章:概念の確立
まず「サッカーとは何か」を再定義するところから始まります。
「時間・スペース・配置・選手」という4つの概念を軸に据え、サッカーの本質を「時間とスペースを奪い合うゲーム」として整理します。
「攻撃・守備」という曖昧な二項対立を避け、「ボール保持・非保持」という言語に統一するのも、この枠組みを厳密に運用するためです。
「時間」時間を得る・奪う:サッカーの思考戦争
1つ目の「時間」はプレーするための「時間の余裕」って言い換えればいいかもしれません。
名古屋グランパスの例で見てみましょう。
プレーオフ第1戦、FC町田ゼルビアは激しくハイプレスでグランパスCBとGKにプレスをかけてきていました。これはCBの時間の余裕を奪い、ミスを誘うことが目的です。ですが第1戦の名古屋のCBは町田FWのハイプレスをほとんどいなしてしまいました。
ここは私の独自解釈ですが、ハイプレスをいなせたのは、グランパスCB+GKにとって「準備ができている状態」=レディネスができていたからだと思われます。レディネスは心理学用語で、「人がその行動(サッカーの場合はプレー)を正しく・効果的に実行できる条件がそろっているか」を見極める考え方です。サッカーに応用できるのは認知的レディネス(Cognitive Readiness)というタイプです。状況を理解し、判断できる準備があるか、ということを問います。
- 「相手の2列目が降りてきたら誰が出る?」
- 「ボールが動いた瞬間にラインを上げる/下げる判断ができる?」
- 「数的優位をどこで作る?」
上記のような戦術理解は「頭の準備」が整っていないとできません。特にサッカーは認知 → 判断 → 実行のスポーツなので、ここが最も重要です。ハイプレスが来た時に、どのように立ち位置を取るのか。そういう内容を頭にレディネスができている状態でいることは、らいかーるとさんの言う「時間」の余裕を増やします。
レディネスができるようになるにはもちろん個人の技術も必要ですが、反復のトレーニングも大事で、ミシャが「また時間が必要」と繰り返し言うのはそういうところだろうと思います。
※余談ですが、ミシャがいなくなった後にミシャ式で学んだはずのことが抜けてしまうのは、人によっては別のレディネスを創らないと次の監督に対応できないからだろうと思います。足し算で増やしていくことができる人ばかりではなく、上書き保存じゃないとダメな人が多いのだと思います。特に欧州の監督が求めるサッカーはミシャ式とは異なるものなので、異なる基準を自分のなかで昇華して並列できるキャパシティのある選手ばかりではないということだと私は受け止めています。
らいかーるとさんはまた、ちょうどプレーオフ第2戦目の後半35分くらいまでに起きていたことも説明してくれています。以下引用です。
例えば、先ほどのケースとは逆に、ボールの位置が頻繁に変更されるようだと、(中略)非保持側の思考の時間はかなり削られます。基準となるボールの位置が次から次へと変わる展開に対応して、自分のマークすべき対象、いるべき場所をその都度判断しなければならないからです。特に、長い距離のパスをされると、その分長い距離を移動しながら自分のいるべきポジションを判断しなければなりません。この判断を何度も何度も強いられると、ボール非保持側の思考時間は奪われ、疲労はどんどん溜まっていきます。
ミシャ式が川崎フロンターレ2019のサッカーと異なるのはここで挙げている、「長い距離のパス」で考える時間を奪う、というところにあります。この日はロングパスは控えめでしたが、ボールをよく動かし、非保持側を翻弄していました。ただ、この時間帯に得点を挙げられなかったことがこの試合の敗因だと思います。
町田ゼルビアのサッカーについてもらいかーるとさんが説明しています。
カウンターの打ち合いのような試合も時間がありません。あえて、ボールが行ったり来たりするような状況に持ち込もうとするチームもあります。計算された状態でのプレーを許さず、カオスな状況でもしっかりとプレーできるように準備してきました! というチームです。
FC町田ゼルビアは、グランパスのプレー精度が落ち、人も代わって練度が落ちた状態になることを待っていたのだと思っています。それまで0点に抑えれば勝てる、と。終盤、そして延長戦では名古屋グランパスは計算が成り立たない状況に追い込まれました。85分以降苦戦したのは状況的にも、選手的にも「時間」を持てなくなったということが原因だと私は思っています。
「スペース」 プレーが可能な空間という再定義
らいかーるとさんはまた「スペースがある」という言葉の日常的な誤解を正すところから始めました。
スペースとは「広大な空間がある」ことではなく、「そこでプレーができる」という2つの意味が重なって初めて成立する概念だと定義しました。
たとえばハイラインを敷いたDFラインとGKの間には広大な空間が生まれますが、それを「利用できるか」は別問題です。たとえば全盛期の香川真司は一般的にはスペースがないとされる狭い空間でも平気でプレーできました。つまりスペースの有無は絶対的な物理的広さではなく、「その選手がそこでプレーできるか」という、選手次第の相対的な指標になります。
スペースの有無を見極める物差しは「相手との物理的距離」です。相手が遠ければスペースがある、近ければスペースがない。この原則から、「フリーな選手」とは単に相手がいない選手ではなく、時間とスペースの両方を手にしている選手と厳密に定義されます。
残念ながら、名古屋グランパスには全盛期の香川真司のような狭いスペースをものともしないテクニシャンは思い当たりません。だからこそ、物理的に空いているスペース(だいたいは相手の守備ライン裏)にパスと走り込みでチャンスを創ることに集中しているのだと思います。
ただ、そういう特別な選手がいなくてもいまのグランパスには好選手が揃っています。和泉竜司は相手のDFラインと、MFのラインの間のようなスペースを見いだすことに長けた選手です。森島司が一時期高嶺朋樹をCBに追いやってまで起用されていたのは、和泉竜司のようなスペースにいる味方にボールを届けることができる選手だからでしょう。
そして逆転の視点で、スペースは静的に存在するものではなく、双方が能動的に作ったり潰したりするものとして描かれます。ボール非保持側がスペースを消す手段として挙げられるのは主に2つです。ひとつは永井謙佑型の「圧倒的なスピードで物理的に相手に近づき、距離を無効化する」アプローチ。もうひとつは、選手同士の距離を圧縮してブロックを作り、相手の使いたいスペースを人で埋める町田ゼルビア・アトレティコマドリー型のアプローチです。
ただし守る側がピッチを狭く固めると、必然的に「捨てるスペース」が生まれます。攻撃側がそこに対して質の高いロングボールを連打したり、捨てたスペースにドリブラーを配置したりすることで、今度は守備側が全体の距離を広げざるを得なくなる。このせめぎ合いがサッカーの構造的本質だと説明されます。
スペースを巡る争いは、時間と一体のものとして描かれており、この章全体のテーマ「サッカーは時間とスペースの奪い合い」の核心部分を担っています。
「配置」 守備の基準点を乱す武器
らいかーるとさんは「システム」という言葉を意図的に避け、「配置」という言葉を使います。理由はシンプルで、「システム」は多義的すぎて分析の語彙として曖昧だからです。配置はフォーメーションと同義として使われます。
配置分析の出発点として強調されるのがかみ合わせです。両チームの配置を図示してぶつけることで、「どのエリアで数的優位・同数・不利が生まれるか」を事前に把握することが試合分析の第一歩だと述べられます。このかみ合わせから何が起こりそうかを予測しておくことが、分析の精度を高めるとされます。
配置が攻撃に使われる場面でらいかーるとさんが提示するのが、「守備の基準点を乱す」という概念です。ボール非保持側の各選手には「この選手にボールが入ったら自分が奪いにいく」という担当相手(守備の基準点)が存在します。ところが攻撃側がフォーメーションのかみ合わせを工夫することで、この守備の基準点が誰なのか分からない状態を意図的に作り出せる。らいかーるとさんはこれを「配置で殴る」と表現します。守備の基準点が定まっていない選手はプレッシングに行くタイミングが遅れ、攻撃側はボールを受けてから相手が来るまでの時間を長く稼げるようになります。
ミシャ式の強みでもあり、弱みでもある4-1-5という配置はまさに相手の「守備の基準点を乱す」という狙いがある仕組みです。ただ、それは同時に自分たちの「守備の基準点」も乱してしまう、という弱点を創ります。まさに両刃の剣。(グランパスファミリーの皆さんなら「知ってる」っていうところですね)
対してボール非保持側が取れる対策は2つです。誰が誰を担当するかを明確に整理するために全体の配置を変える「ポジショナルディフェンス」か、ボールサイドでない逆サイドを思い切って捨ててボール周辺に人数を増やすかです。
章末のまとめとして、配置の機能がボール保持と非保持で対称的に説明されています。保持時はかみ合わせで守備の基準点を乱し優位性を獲得すること、非保持時は迷わずプレッシングをかけられるように配置を調整すること。そしてこのボール保持・非保持でフォーメーションが変わるという現代サッカーの状況は、まさにこの「かみ合わせの差異を最大限に活かしたい」という意志から生まれているとまとめられます。
なおここで、ゾーンとマンマークについての補足的な整理も入ります。ゾーンはボールの位置を基準に守備構造を形成するので、ボール保持者への圧力と、味方の配置によるパスコース封鎖が鍵になる。マンマークは相手の配置的優位性を消せる代わりに、相手の移動に引きずられて自分たちの配置が崩れるリスクがある。現代では両者が混在して使われており、完全なマンマークは廃れつつあるが、3バック・5バックを活用した部分的マンマークは再評価されている、と整理されています。
ただ、この節の内容は、7年後の2026年に大きく様変わりしてきています。マンマークの復権。ミシャもジャン・ピエロ・ガスペリーニ の影響を受けて、自分のミシャ式を大きくアップデートしてきています。そのあたりについては課題図書「アナリシス・ブレイン」で取り上げていきます。
「選手」 時間とスペースを配れるかが評価の基準
配置がいかに完璧でも、最終的にプレーするのは感情のある生身の人間です。らいかーるとさんはスヌーピーの「配られたカードで勝負するしかない」を引用し、選手の個性と質が戦術を超える場面があることを率直に認めています。
「選手」の節で提示される最も重要な評価基準は「味方に時間とスペースを与えられるかどうか」です。
パスを受けた味方が常に劣勢になるなら、パスを出した選手は時間とスペースを味方に渡せていない。
逆にパスを受けた味方が常に優位な状態にあるなら、出し手が時間とスペースを適切に配れている評価になります。
「良いパスか悪いパスか」は、ボールの軌跡ではなく受け手の状況で決まるという逆説的な視点です。
ただし全盛期のメッシやデ・ブライネのように、相手がそばにいても全てを可能にする選手も存在します。名古屋グランパスでいえば全盛期のドラガン・ストイコヴィッチ、あるいはウェズレイなどは全てを可能にする選手でした。
つまりプレーできる時間があるかどうかは、「相手との距離」と「個人の能力」の両方で決まります。だから試合を見るとき、チームとして「あの選手はこの時間でプレーできる、あの選手は無理」という個々の限界を踏まえた上で戦術を組むことが重要と、らいかーるとさんは力説します。
さらに試合分析の観点として重要とされるのがマッチアップの視点です。
ポジションチェンジが多くない限り、右WGは相手の左SBとずっと向き合い続けます。このマッチアップで質的に優位であれば、そのエリアは攻撃の核になれる。劣位であれば対策が必要になる。クロース・モドリッチ対コマン・ロッベン型の局地戦を読む目が、試合分析の具体的な観察ポイントとして挙げられています。
最後に選手の「頭の中」にも踏み込みます。
選手は「見て・認知して・決断して・実行する」というプロセスでプレーしており、省略できる部分があるとすれば「認知のスピード」だと指摘します。
状況判断が早い選手は、わずかな時間とスペースでもチームに優位性をもたらせる。そのために「未来を見ながらプレーする」こと、つまり自分のプレーが終わった後に何が起きるかを常に予測しながら動くことが個人の判断スピードを上げる鍵だとされます。
4つの概念の連鎖構造として章末にはこう整理されています。
選手は「時間」を確保するために「スペース」を求める。スペースを得るために「配置」のかみ合わせによる優位性と「選手」の質の差を利用する。この4概念の連鎖がサッカーというゲームの骨格だ、という結論で第1章は締められています。
梅雨休み課題図書 らいかーるとさんの「アナリシス・ブレイン」を読む (2) 前著 アナリシス・アイはどういう内容だったかを振り返る 第2章以降
に続く