footballistaに掲載された、レナート・バルディ氏による名古屋グランパス分析を読みました。
※有料記事
とても興味深い記事でした。外部の専門家が、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督のサッカーを「中盤の空洞化」「縦志向」「速く強いグラウンダーのパス」「ネガティブトランジションのリスク」という観点から読み解いていること自体は、我々グランパスファミリーの感じていることをと一致しています。
今季の名古屋グランパスが中盤に大きなスペースを生み出しながら、そこをあえて飛ばして前線に速くボールを届けようとしていることは、現地で見ていても強く感じます。
こちらの記事でも解説した、ピッチを大きく使うことで、相手の思考の時間を奪う、ミシャ式の常套手段です。
良くも悪くも、オープンな試合になる。奪えば速く、失えば一気に危なくなる。そこはミシャ式の魅力でもあり、危うさでもあります。
ですから、バルディ氏の分析を「的外れだ」と言いたいわけではありません。むしろ外から見たからこそ、名古屋グランパスサポーターが見慣れてしまっていた危うさを、はっきり言語化してくれた部分は大きいと思います。
ただし、その分析を読むうえで、どうしても背景情報を添えておきたい点があります。それも1点ではなく、4点にわたって。
※ バルディ分析初版では事実誤認と思われる記述がありましたが、編集部に連絡したところ、真摯に対応いただきました。ご対応感謝しています。
分析対象の3試合は「通常時の名古屋グランパス」ではなかった
バルディ氏が分析対象とした3試合、セレッソ大阪戦、サンフレッチェ広島戦、FC町田ゼルビアとのプレーオフ第1戦は、いずれも失点が多く、名古屋グランパスの構造的な弱点が表に出やすい試合だったことは確かです。だからこそ、分析対象として意味がないとは思いません。
しかし同時に、この時期の名古屋グランパスは、かなり厳しい編成状況に置かれていました。
まず、この時点でレギュラー格の森島司を欠いており、サンフレッチェ広島戦後半でやっと時間制限付きで復帰という状況。直前の京都サンガF.C.戦で、キャプテンであり中盤の要である稲垣祥が負傷。左足関節捻挫・三角骨障害と診断され、その後手術を受けています。さらに、サイドCBとして重要な役割を担っていた原輝綺・徳元悠平も万全ではなく、アシストでチームを牽引していた中山克広も京都戦で負傷交代した後の状態でした。
バルディ氏が「第2列外側の2人が切り離されている」「ネガティブトランジション時に中央のカバーが追いつかない」と批判した構造的問題の多くは、この事情を知らなければ正しく評価できません。本来は稲垣が中盤のスペースをカバーし、原・徳元がサイドCBとしてビルドアップの幅と縦への配給を担うことで、いわゆる「中盤の空洞」は機能する設計になっています。
分析記事の中でバルディ氏が「第2列中央のボランチがあまりに広いスペースをカバーしなければならなくなる」と述べた場面は、稲垣不在という状況が直撃している部分です。中盤の空洞化は、たしかに今季の名古屋グランパスを語るうえで避けられない論点です。ただ、その広大なスペースを管理する役割を、本来は藤井陽也だけが背負っていたわけではありません。稲垣祥が中盤を上下動で締め、原輝綺・徳元悠平がサイドで前に出ては戻り、最後尾で高嶺朋樹が配球とカバーを担う 。そうした複数の要素が組み合わさって、ようやく成立していた構造でした。
ASローマに例えるなら、ブライアン・クリスタンテ(守備的MF)とエルモソ・エンディカ(左右のCB)が同時に離脱し、ウェズレイも万全でない状態の3試合だけを見て「ローマは中央の守備が脆く、サイドをうまく使えない」と評価するようなものです。見えている現象は事実かもしれません。しかし、それがチーム本来の設計なのか、非常時に設計を支える部品を欠いた結果なのかは、分けて考える必要があります。
セレッソ大阪戦の直前まで名古屋グランパスは首位にいました。その事実は、このチームがその時点まで正常に機能していたことを示しています。バルディ氏がDAZNのアーカイブの都合でこの3試合しか見られなかったとすれば、その制約は分析の冒頭に明記されるべきでした。
「サイドを使えていない」は、戦術の問題か人員の問題か
バルディ氏は「サイド経由での前進が難しく」「ほとんどが中央3レーンで完結している」と指摘しました。確かに観察された事実としては正しいと思います。しかし、その原因の分析が欠けています。
名古屋グランパスはガスペリーニのアタランタのように、サイドCB・ウイングバック・ボランチ・シャドーでひし形を作り、サイドで数的優位を作りながら前進していくチームではありません。後方から前線へ速く刺し、そこから落とし、裏・逆サイド・ポケットへ展開する。サイドでじっくり組み立てるより、相手の背後を早く取りに行くチームです。
ただし、それを「サイドを使えていない」と言い切ってしまうと、少し違います。
ミシャ式における逆サイドへのロングフィードは、サイドCBが担う重要な配球手段のひとつです。右サイドCBが逆サイドのウイングバックや左ハーフスペースへ正確なフィードを打ち込むことで、相手の守備ブロックを横断的に揺さぶる。この機能を担っていたのが原輝綺であり、左からは徳元悠平でした。
さらに、右ウイングバックの中山克広は今シーズンのアシストランキング1位で、そのアシストはすべてサイドからのクロスによるものです。負傷を抱えた状態の中山にドリブル突破や積極的なクロスを求めるのは現実的でなく、チームとしてもそのリスクを避けた判断をしていたはずです。
「サイド経由で組み立てる回数が少ない」という指摘と、「サイドを使えていない」という評価は、似ているようで違います。バルディ氏が「名古屋グランパスはサイドを使えていない」と観察したのは、「サイドを使う設計の選手が2〜3人同時に欠けていた」という状態を見ていたにすぎないのではないかと思います。スタイルの問題と人員の問題を混同した指摘です。
「選手間の距離が開き過ぎ」:設計の欠陥か、代替選手の限界か
バルディ氏は「第2列外側の2人が大外レーンまで開いており、攻守両面で多くの選手を無駄に失う結果になっている」と指摘します。観察としては正確です。しかし問題は、それが「ミシャ式の設計上の欠陥」なのか、「本来の担い手を欠いたための機能不全」なのかの区別にあります。
原輝綺・徳元悠平というレギュラーサイドCBは、単に幅を取るだけでなく、プレスを引き受けながら縦パスコースを作り、逆サイドへのフィードを供給することができます。またネガティブトランジション時には素早く絞ってスペースを埋める判断力を持つ選手です。代替出場した選手たちが同じポジショニングを取りながらも同水準の判断と精度を発揮できなかったのは、個人の問題であって設計の問題ではありません。
設計そのものに欠陥があったのか、それとも設計を支える担い手が入れ替わったからなのか。私は後者の影響が大きかったと見ています。バルディ氏の分析は、この区別を踏まえていません。
「ほとんどの項目でリーグ平均」は欠点ではなく、効率性の証明かもしれない
バルディ氏は「データを見ると、ほとんどの項目でリーグの平均あたりに位置している」と述べ、突出するのはドリブルと被ドリブルの2指標のみと指摘しました。
Jリーグ公式のJ.STATSデータを見ると、たしかにパス数、ドリブル数スルーパス数といったデータは中位のようです。
項目 | 順位 |
|---|---|
得点 | 1位 |
シュート数 | 4位 |
枠内シュート数 | 3位 |
失点 | 3位 |
クリーンシート | 9位 |
パス数 | 8位 |
パス成功率 | 8位 |
ドリブル数 | 10位 |
ドリブル成功率 | 1位 |
スルーパス数 | 10位 |
スルーパス成功率 | 13位 |
クロス数 | 3位 |
クリア数 | 11位 |
タックル数 | 2位 |
タックル成功率 | 4位 |
ブロック数 | 9位 |
ファウル数 | 17位 |
インターセプト数 | 14位 |
空中戦勝率 | 7位 |
ボール支配率 | 8位 |
チャンスクリエイト | 4位 |
デュエル勝利 | 1位 |
こぼれ球奪取 | 7位 |
ゴール期待値 | 4位 |
被ゴール期待値 | 6位 |
平均走行距離 | 12位 |
平均スプリント数 | 7位 |
APT(実プレー時間) | 9位 |
この記述自体は事実だとしても、そこから何を読み取るかは別の話です。
開幕からセレッソ大阪戦直前まで首位を維持していたチームが、特定の指標に過剰投資することなく勝ち点を積み重ねていたとすれば、それはむしろシステムの効率性の高さを示しているのではないでしょうか?
シュートが多いわけでも(4位)、パスが多いわけでも(8位)、走行距離が突出しているわけでもない(12位)のに首位。これは「平凡なチーム」の証拠ではありません。「無駄のないチーム」の証拠です。
際立った数値がないことを、欠点と見る必要があるのでしょうか?
「シュートが多い」「パスが多い」「ドリブルが多い」といった派手な特徴が、そのまま勝利に直結するわけではありません。むしろ、少ない手数で勝ち点を積み重ねていたのであれば、それは効率の良さとして評価できるはずです。 ミシャ監督のサッカーが縦に速くオープンな展開を好むのは確かですが、それは見せ場を作るためではなく、相手を動かして勝つための手段です。結果として多くの指標が平均的な値に収まっているなら、それは批判の材料にはなりにくいと思います。
まとめ:「間違っている」のではなく、「背景を知ったうえで読むべき」
名古屋グランパスに課題がないと言いたいわけではありません。
全体的に精度をもっと上げていく必要があります。選手はもっと上手くならなければなりません。
指摘のあった構造の問題。中盤の空洞化は間違いなくリスクを伴います。ビルドアップの距離が長く、縦パスの精度が少しズレると、中央に大きなスペースを明け渡す。ロスト後の即時回収が難しくなる。セレッソ大阪戦でも、前半からビルドアップで良い形を作れていた一方で、パスミスからカウンターを受け、失点を重ねてしまいました。構造としての危うさがあったことは否定できません。
ただし、「構造としての被カウンター」と「点差・焦り・人員不足・コンディション不良による被カウンター」は同じではありません。
当たり前のことですが、点差が開くとチームは前がかりになります。
また負傷者が多く、ピッチ上にいる選手たちが本来の強度を出し切れない状態であれば、いつもなら戻れる距離、いつもなら埋められるスペースを逃してしまうこともあります。
終盤3試合に見えた難しさは、名古屋グランパスの構造的な課題であると同時に、非常時の歪みでもありました。
バルディ氏の分析は鋭く、名古屋グランパスのリスクをかなり正確に捉えています。ガスペリーニとの比較も興味深い視点でした。私たちが映像でしか見られないアタランタやローマを実際に知る方からの指摘だからこそ、ありがたい情報です 。
しかし、そのリスクがなぜ通常時にはある程度成立していたのか、なぜ終盤に一気に露出したのか。そこまで踏み込むには、分析対象の3試合だけでは足りません。
個人的には、問いの立て方そのものを変えたいと思っています。「名古屋グランパスは中盤を空洞化させすぎているのか」ではなく、「誰がいれば、その空洞化は武器として成立し、誰を欠くと、それが弱点として露出するのか」。終盤の3試合は、後者の問いに対する一つの答えを、皮肉な形で見せてくれたのだと思います。
名古屋グランパスは、あの3試合だけのチームではありません。セレッソ大阪戦の前まで首位に立っていたチームであり、中山克広が前を動かし、藤井陽也が背後を守り、稲垣と高嶺が中盤を握っていたからこそ成り立っていたチームです。原輝綺や徳元悠平がサイドCBとして機能していた時期には、逆サイドへの展開も、サイドからの前進も、もっと自然に出ていました。
バルディ氏の分析は「間違っている」のではなく、「背景を知ったうえで読むべき」ものです。
外から見た名古屋グランパスの危うさは、確かにそこにある。しかし、内側から見てきた名古屋グランパスには、その危うさを成立させるための工夫と人材がありました。
その両方を重ねて見ることで、2026年J1百年構想リーグの名古屋グランパスの姿は、より立体的に見えてくるのではないでしょうか。
本日6月11日に、第2回の名古屋グランパス分析が公開されるようです。そちらも興味あれば是非お読み下さい!

